●先生のおはなし
「喜び100個書き出してみた」

金光教横浜西教会
山田信二 先生
(案内役)おはようございます。案内役の岩﨑弥生です。
あなたは、どんな時に喜びを感じますか?
今日は、神奈川県・金光教横浜西教会・山田信二さんのお話で、「喜び100個書き出してみた」。
(本文)先日、50代の男性から、こんなメールが届きました。
「以前は悪いことが続いて大変でした。今は平和な日々を送ることができているのですが、これといって良いことがないのです。どうしたらいいでしょうか」
こういう漠然とした悩みを持っている方は多いのではないでしょうか。「不幸とも思わないのだけれど、幸せとも思えない。何かいいことないかなあ」という感じです。
そこで私は次のように返信しました。
「良いことがないですか。では、良いことがあるように神様にお願いしましょう。それと、今ある喜びを一つ一つ見つけ出して、たくさんお礼を言いましょう。たくさん喜ぶ人には、いいことがたくさん起こってきます」
しばらくして、その方からまたメールが来ました。「ありがたいことを100個書き出してみました。なるほど良い気分です」というのです。いやあ、びっくりしました。まさか100個書き出すとは。
その方が書き出した喜びのリストを見せていただきました。どんなことを書き出したか、少し紹介してみましょう。まずは、
〇朝、毎日定時に起きられること。
〇夜、寝られること。
〇服が着られること。
〇服が脱げること。
〇ご飯が美味しく食べられること。
〇毎日風呂に入れること。
〇温かい部屋に住めること。
そうですよね。ふだん見過ごしがちなこと、たくさんありますよね。
実はこの方は、以前職場でとてもつらい思いをし、病気になって、わらにもすがる気持ちで金光教の信心を始めたのです。その後、仕事を辞め、健康も回復し、福祉関係の個人事業を始めました。そのことも書いてあります。
〇病気が回復したこと。
〇資格が取れたこと。
〇念願だった個人事業ができること。
〇それで暮らしていけるまで事業が軌道に乗ったこと。
いやあ、あのつらかった頃のことを思うと、私もうれしくなってきます。
もちろん個人事業は難しいこともあります。収入も思うようにはなりませんが、良いことを見つけたみたいです。例えば、
〇自分の仕事に誇りを持てること。
〇上司に嫌なことを指示されないこと。
〇仕事をとおして世の中で困っている人の役に立てること。
はい、仕事にやりがいを感じておられるんですね。しかも、人の役に立てることが喜びになっているのが偉いなあと思います。
また、過去を振り返ってもみたようです。
〇両親の愛情を受けて育ったこと。
〇高校に通えたこと。
〇大学に通えたこと。
〇本を多く読めたこと。
〇多くの友人に恵まれたこと。
なるほど、当たり前と思っていた過去に、喜びが潜んでいるものなんですね。
そして、自宅の周りも見てみたようです。
〇近くに親切で腕の良い医者がいること。
〇近くに郵便局があること。
確かに便利ですよね。
また、面白いのは、
〇近くに天然温泉があること。
〇近くに焼き鳥屋があること。
はい、これって、けっこう重要かもしれません!
そして、
〇平和な国に生まれたこと。
〇自由な国に生まれたこと。
これも大事なことですよね。当たり前じゃないんです。自由と平和は絶対に守らないといけないと私は思います。
とまあ、こんなふうに喜びを見つけていかれたんですね。これは全部ではありません。もっといろいろと具体的なことが挙げてありました。中には、他の人には真似のできないこともありますが、ほとんどは、ごく普通の暮らしの中の喜びです。
この方に、「そうやって100個書き出してみて、どんな気持ちですか」と尋ねてみたら、こんな答えが返ってきました。
「私には、まだ3つ叶っていない願いがあります。鋭意努力中です。でも、できてないことはたった3つで、できたこと、神様に与えていただいていることは100を超えます。100対3です。そう思ったら、うれしいというか、何とかなるぞというか、たった3つで悩んでもつまらんという気持ちになってきました。何しろ100対3なのですから」
そう聞いて私も元気が出てきました。この方も私も金光教の信心をしていますが、信心するというのは、神様にお願いをして願い事をかなえてもらうことだけではないんです。信心すると、生活の中の見逃しがちな喜びを見つけることができる。そうなると、心の中にはつらいことや、悲しいこともあるのですが、喜びのほうが大きくなって、つらいことや悲しいことを包んでくれて、生きる力が湧いてくるのです。そうやって喜んでいると、神様も一緒に喜んでくださって、うれしいことが増えていくのだと私は思っています。
さあ、皆さんも喜び100個、書き出してみませんか。
(案内役)いかがでしたか。
私も喜び100個、書き出してみました。書き始めは、スラスラ書けるのですが、そのうち書く手が止まってしまいました。何か他にないのかなあと思って探してみると、ありましたありました。前に叱られてつらかったと思っていたけれど、今は、そのことがとても役に立っているなあと思うことや、あの出来事、当時は嫌だったけれど、そのおかげで立ち止まって考えてから行動するようになったなあと思えることも見つけられたのです。今はつらいと思ったり、自分の思いどおりでなかったとしても、意外と大きな喜びの種が潜んでいることもあるんですね。
起きてくることはきっと意味のあること。そんな視線で物事を見てみたら、これから芽が出て花が咲く喜びの種を見つけられるかもしれません。