●ピックアップ(テーマ:「病気になって」)
「ボク、偉いのねぇ」
金光教中伏木教会
大代信治 先生
十数年前、私たち夫婦に待望の長男を授かりました。ところが生まれてすぐ、息子の右目に軽い障害が見つかりました。病院の先生の話では、水晶体を摘出して、毎日欠かさず訓練すれば日常の生活に不自由はないということでした。私たちは、神様に、「どうぞ、手術が成功しますように。そのあとの訓練に、親子いっしょに取り組めますように」と、お願いしました。こうして、息子は生後40日で目の手術を受けたのでした。
すぐにコンタクトレンズを作ってもらい、退院後、訓練を始めました。起きている間は毎日コンタクトレンズをつけるようになりました。左右の視力が大きく違いますので、どうしてもよく見える左目ばかりを使います。ですから、右目の視力を上げていくために、よく見える左目を隠して訓練をしなくてはならなかったのです。
この訓練には、絆創膏の大きくて丸いものを使います。それを、ベタッと左目に張りつけて見えなくすることによって、右目を使うようにするというものでした。
はじめは、一日に1、2時間の訓練でしたが、起きている時間が長くなるにつれて、訓練の時間も増えていき、保育園の頃には、一日に8時間も訓練をするようになりました。ほとんど一日中、左目に絆創膏を張っているような感じですので、本人は大変嫌がります。周りの人たちからは、「はずしてあげればいいのに」と、よく言われました。特に、入園式などの特別な日には、そうでした。私たちも、かわいそうでなりませんでしたが、「このまま右目がよく見えないほうが、もっとかわいそうだ」と思いました。ですから、「どうぞ、このまま辛抱できますように」、と毎日毎日神様にお願いしながら、訓練を続けていきました。
幼い息子の小さな顔に大きな絆創膏を張りつけた姿には、痛ましいものがありました。いっしょに外を歩いていますと、その姿を見て、皆さんびっくりした様子です。目を背ける人もありましたし、「どうしたん、その目は? 痛いの、大丈夫?」と、心配して尋ねてくださる人もありました。尋ねてくださった人には、決してごまかさずにありのままをちゃんと説明して、分かってもらおうと心がけておりました。相手に分かってもらいたいのと同時に、息子には引け目を感じずに堂々と訓練を続けてほしいと願っていたからです。
やがて、もうすぐ小学校という頃になりますと、息子自身が、簡単な説明をできるようになってきました。そんな息子を、私たちは頼もしく思っておりましたが、それでも息子は、いつもいつも同じ説明をすることが、面倒に感じることもあるようでした。
ある時、息子といっしょに歩いていましたら、女の人が、声をかけてくださいました。息子は、「またか。嫌だなあ」という顔をしながら、それでも、いつものように、絆創膏の理由を説明しました。すると、その女の人は、「かわいそうに。大変ねえ」と言ってくれたのです。しかし私は、思わず、「いいえ。この子も、毎日一生懸命頑張っているんですよ」と、口にしました。私は何か親バカぶりを外へ出してしまって恥ずかしいような思いでおりました。するとその人は、「あら。ボク、偉いのねえ」と、褒めてくださったのです。その時、私は、息子の顔を見て、ハッとしました。息子は、何ともうれしそうな、自慢げな顔をしていたのです。
これには少々驚きました。息子にしてみれば、「かわいそうに」と気の毒がられるよりも、「頑張っているんだね」と褒められるほうが、はるかにうれしいし、自信を持てるのです。相手の人も、同情するより、褒めて励ましたほうが、すがすがしい思いがするのではないでしょうか。大事なところに気づかせてもらったなあと思い、心の中で、神様にお礼を申し上げました。あとから振り返ってみて、息子を褒めてくれた、あの言葉は、神様からのお言葉だったようにも思えるのです。
その女の人は、その後も、お会いするたびに、息子のことを褒めてくださいました。そのおかげもあってか、息子は、だんだんと、引け目を感じずに、自分の目のことを説明できるようになっていったのでした。
いろんな出来事を乗り越えながら、訓練は、小学校3年生になるまで続きました。「コンタクトレンズをつけた状態で、視力0.1くらいになれば、いいほうだ」と言われていたのですが、息子の右目の視力は、1.0まで上がりました。もう、左右の視力に、大きな差はなくなり、病院の先生も、「毎日、よく頑張ったね」と、褒めてくださいました。それは、そのまま、私たち家族の思いでもありました。
金光教には、「難はみかげ」という教えがあります。降りかかってくる不幸や災難が、あとで幸せにつながっていくような生き方があるのだ、ということではないかと思います。息子は、今では中学生になり、左目に絆創膏を貼った日々は、遠い昔のことになりましたが、あのつらかった経験は、決して無駄ではなかったと思うのです。保育園から小学校にかけて、あの訓練を続けられたこと、しかも、それを、堂々と続けられたことは、息子のこれからの人生に、大きな糧となっていくにちがいありません。自分と他人を比べて、劣等感を感じたり、人を見下したりせずに、互いに助け合い励まし合うことが大切であるということも、学んでくれたように思います。親である私たちも、本当にいろいろなことを学びました。
まさに、難がみかげになった、と思うのです。