●先生のおはなし
「未来につながる経験」
金光教靱教会
鍵山道隆 先生
(案内役)おはようございます。案内役の大林誠です。
今日は、大阪市、金光教靱教会の、鍵山道隆さんのお話をお聞きいただきます。お子さんが不登校になった時の体験です。題して、「未来につながる経験」。
(本文)4年前の1月、当時中学1年生だった長男が、急に学校に行かなくなりました。前日は、友達と繁華街へ遊びに行っていたにもかかわらず、突然のことでした。学校へ行かない理由を尋ねても、「教室がうるさい」とか、「みんなに会うのが嫌」「たくさんの人がいる所に行けない」など。聞く度に変わり、本当のところはなぜなのか、よく分かりませんでした。
通学しなくなって数日は、朝から学校へ通わすために説得を試みたり、部屋から引きずり出そうとするのですが、余計にかたくなになり、部屋に鍵をかけ、扉の内側に本棚や家具などでバリケードを築き、一日中部屋に閉じこもり、ご飯も食べない日が続くようになりました。
学校へ行かない理由が分からないので、嫌なことから逃げようとしているのではないか、自分の好き勝手にしたいのではないかと思ったり、何か嫌なことがあってつらい思いをしているのではないかと考えたり。または、子育てが間違っていたのではと自分を責める思いにもなっていきました。日にちが経つにつれて、中学校にこのまま通わず、高校にも行けなかったら将来どうなるのかという漠然とした不安な思いが、私の気持ちを焦らせていきました。
しかしそんな中でも、神様が、親である私に対して、信心するように促してくださっておられるのではないかと感じられました。人生において、身の上に起こることは、決して無駄事はないと自分の思いを変えて、「毎日神様に子どもが学校に通えますように。またこの経験が今後、大切な宝物となりますように」とお祈りしていました。
その祈りの中で思ったのは、こうして信心のご縁を頂いて、神様に心を向けさせていただくことができるのがありがたいなあ。子どもがいてくれるから、こうした心配や経験ができるのだなあ。これまで、ご飯を食べるのが当たり前、学校へ行くのが当たり前と思っていたことが、初めて当たり前でなかったことに気付き、これからは一つひとつできたことを喜び、お礼を申していく生き方にならせていただこう。何事も喜んで、お礼を申していこう。そういう心持ちにならせていただきました。
学校に通わなくなってから、3週間ほど経った頃、長男と話し合いました。食事は、規則正しく食べる、家族全員の行事には必ず参加するなど、ルールを守れば学校に通わなくても、家で何をしていてもよいこととして、しばらくは様子を見ることにしました。長男も決まりを作ってからは、安心して引きこもれるので、そのルールを守ろうと朝もきちんと起きるようになっていきました。
結局、長男は中学1年の途中から中学2年の1学期の間も、全く学校に行くことはありませんでした。しかし、2学期から通いたい気持ちが芽生えたのか、週1回1時間だけ、教室以外の別室なら登校できるようになっていきました。親としては、「学校に行ってくれる」とホッと胸をなで下ろし、それだけでも本当にうれしい気持ちでいっぱいでした。
中学3年生の新学期が始まり、友達が迎えに来てくれたこともあってか、急に学校に通えるようになり、教室にも入れるようになりました。たまに休んだり、遅刻したりすることもありましたが、長男は、通わなかったらまた行けなくなるのではないかという危機感からか、続けて休むことはなくなりました。
長男は今でも、通学できなくなった理由は分からないと言います。ただ、通学できなかった時に発行された文集を読んで、こう話してくれました。
「文集には、いろんな1年間の行事の感想が書かれていて、その行事に参加できなかったことはすごく寂しく感じた。また中学2年で友達になれるはずだった人と出会えなかったことも、すごく残念に思った。でもこの経験をしたことで、これからはたくさんの人と話がしたいし、人との出会いを大切にしたいと思う気持ちになった」と話していました。
今では、高校に入学し、1日も欠席することなく通学しており、大学受験に向けて勉強に取り組んでいます。
これまでの学校に通えなかった経験は、長男のこれからの人生にとって、大切なことを神様から気付かせてくださったように思っています。
(案内役)いかがでしたか。
不登校は悪いことではないんだから責めてはいけない、無理強いしてもいけない、ということをよく聞きますが、実際の場面で、親として適切な行動ができるかどうか。これは本当に難しいだろうと思いますね。鍵山さんも最初は戸惑ったと正直に話しておられます。でも、神様のお心を尋ねるような祈りの中から、自分が改まらねばという思いが生まれ、さらに、この子がいてくれればこそとお礼を言う心持ちにまでなったという。これは神様を信じる心があってこそ、できたことではないでしょうか。信心には、あらゆる経験を未来にしっかりつないでくれる心強い働きがあるということを、このお話は教えてくれています。