●第1回
「かんべむさしの金光教案内Ⅳ」
金光教放送センター
おはようございます。かんべむさしと申します。職業は作家でございまして、日本文藝家協会と、日本SF作家クラブの会員になっております。また金光教には、40代の後半になってから、御縁をいただきました。
で、そんな私が、今朝から週1回で5週にわたって、金光教の教祖様、「様」と言うとどうも硬くなりますので、失礼して「さん」と言わせていただきますが、教祖さんと、その教えを受けた、当時の信者の方々のお話をさせていただくことになりました。
それにつきましては、資料として、金光教の教典と教祖さんの伝記を使わせていただきますが、実は私はこの2冊を、神聖な書物というよりは、非常に興味深い、面白い本として読ませていただいております。
というのが、まず分厚い教典の大半が、いろんな信者さんたちのエピソード集になっておりまして、時は幕末から明治時代、所は教祖さんがおられた備中大谷、今の岡山県浅口市金光町を中心とした山陽地方。
それから、教祖さんの教えを受けた信者さんたちが布教に出られた中国・四国や九州、さらには近畿地方まで。伝記には、その時代と環境の中での人々の暮らしぶりや世の中の様子が、実にリアルに描かれてるんですね。
ですから、教典も伝記も私にとっては、「面白い本」「幕末や明治時代の勉強になる本」でもありますので、その思いを土台にして、お話をさせていただきたいと思います。
そこで、まず教祖さんの紹介でございますが、教祖さんは元々は備中大谷で、農業をしておられた方です。子どもの頃から神仏に参るのが好きで、温和で正直な人でしたが、一方では不幸や不運にもたびたび見舞われてました。子どもを3人も亡くすとか、自分も大病をするとか、農家にとっては家族同然の牛が2頭も死ぬとかでして、それらの苦難をとおして信心を進めるうちに、神様とお話をさせてもらえるようになられたんですね。
私なりの解釈ですけど、この宇宙には大いなる意思があまねく満ち渡っており、それを人間は神と呼んでる。そしてその意思を感じ取れた人がいて、その意思に沿って生きるようにと、大勢の人々に説いていく。
大いなる意思と、それを感じ取った人と、大勢の民衆。古今東西の宗教には、この三者関係を基本にして始まったものが多いわけで、その意味では金光教も、単なる地方の民間宗教ではなく、時代や国境を越えて通用する普遍宗教の1つだと、私は思いました。
で、話を戻しまして、神様とお話をさせてもらえるようになられた教祖さんは、人々の頼みに応じて、願いの成就や難儀の解決を神に祈念し、かなえてもらえるようになられました。神と人との仲立ちになって、人の願いや悩みを神に取り次ぎ、神の思いを人に取り次いで、その人に合った生き方を教えていく。それでこれを「取次」と申しまして、今でも金光教の根本になっている働きです。
そして、教祖さんはその「取次」を、農業をしながら続けておられたんですが、神様から、「世間には難儀に苦しむ者が大勢いるから、農業をやめて取次に専念して、助けてやってくれ」と頼まれました。そこでそれからは、明治16年に亡くなられるまで大方25年間、自宅である農家のひと部屋に座り続けて、人助けに励まれたんですね。
ただし教祖さんは、一足飛びにそんなレベルに到達されたわけではありません。最終的に神様から、御自身のお名前は「天地金乃神」であると教えられ、教祖さんには「生神金光大神」、大きな神と書いて大神ですが、そういう神としての名前が与えられたのは、神様から命じられた厳しい修行を経てのことでして。ですから教祖さんは、この「生神」も、「ここに神が生まれる」という意味で、誰でも信心を進めればそうなれますよと教えておられます。
教典や伝記によりますと、とにかく教祖さんは、神様から命じられたことは、全てそのまま、そのとおりにするという、そういう修行を続けられたそうです。ですから、まだ農業をしておられた時、冬でも「裸足で行け」と言われたり、夏になっても「蚊帳をつるな」と命じられたり。のちには、「ひと晩中、外で踊っておれ」と命じられてそうなさったとか、「金を拾わせてやるから西へ行け」と言われて、弁当持ちで延々と歩いたけど、金なんかどこにも落ちてなかったとか、常識で考えたら「何の意味があるねん」と思うような話も残っております。子どもの頃に、遊び仲間の賭け事に誘われて大負けして、親からきつく叱られたなんてエピソードもあります。
つまり教祖さんは、最初から何もかも立派で偉かったという人ではなかったということで、私は御縁を頂いた当初、そういった事実や、それを教典や伝記に隠さず書いてるという姿勢が信用できると感じました。
そして、金光教はこちらの悩みや願いを聞いて、その解決や成就を祈ってくれるし、賽銭やお供えは自由だし、他の宗教も否定しない穏やかな宗教だということも分かりましたので、現在までの20何年間、教会に通わせていただいてるわけです。
はい。というところで、時間が来ました。来週は、その時代に大阪へ布教に出てこられた信者さんのお話をさせていただきます。
ありがとうございました。