一生懸命、丁寧に


●教師インタビュー
「一生懸命、丁寧に」

金光教放送センター


(ナレ)岸野美輝きしのよしてるさん、65歳。岸野さんは現在、滋賀県草津くさつ市にある金光教草津教会で奉仕しています。
 今から約20年前、岸野さんは、自分や家族にいろいろなことが起こり、その結果、教会を出て生活をすることになりました。当時、岸野さんは40歳過ぎ。家族を抱えて、仕事を探すところから始まりました。
 それまで何の経験も資格もない状態で、ようやく見つかったのは、病院で看護助手として認知症などの高齢者のお世話をする仕事でした。
     
(岸野)その初日、もうびっくりしました。1日の大半は、数時間おきに排泄はいせつ交換です。いわゆるおむつ交換。見よう見まねで始めたんですけれども、認知症の方が大半でしたので、じっとしてくださらない。手を当てられたり、かかれたりする。しかも、手先に便が付いたりしています。不用意に近づくと、襟をふっと持たれたり、時には髪の毛をぐっと持たれたりするんです。
 もう逃げて帰りたい。「ああ、来るところを間違った」と思いました。お恥ずかしい話ですけども、それが偽らざる私の思いでした。

(ナレ)いつ辞めようかと悩む岸野さん。当時いろいろな悩みを相談をしていた金光教の先生のところへ行きました。すると、先生は、こんなふうに教えてくれました。

(岸野)先生が、「それはな、あんたのために神様がご用意くださったお仕事やから、それを一生懸命にな。そして、丁寧にさせてもらいなさいや」とおっしゃったんです。
 「一生懸命」は分かるんですけれども、「丁寧」というのは、正直なところ、「先生、そうおっしゃるけどね、そんな余裕ありませんわ。もう毎日毎日『もう今日は辞めよう。今日は辞めよう』の連続で、そんな丁寧な心になるような余裕はありません」というのが、その時の私の気持ちだったんです。けれども、不思議なことに、今となってみますと、その丁寧さというのが私自身の仕事を続ける大きな力になったということを、20年以上経ってから気が付いたようなことなんです。
 どうしてその辞めたかった仕事が続いたのかというのは、いろいろとあるとは思うんですけども、その1点が、
清拭せいしきといいまして、いわゆるおむつ交換をした後、便などで汚染した皮膚を奇麗に拭き取ることがあるんです。当時準備していました拭き取るタオルが、ちょっと時間を置くと、すぐに冷えてしまっていました。その冷えたタオルで陰部というか、おしもを拭かさせてもらうと、やっぱり皆さん「冷たい! 冷たい!」とおっしゃるんです。当然ですよね。それが何かものすごく気の毒に思えたんです。
 「ああ、これを水で拭かれたらたまらんなあ」と思って、それで1回1回できるだけ温かい状態にしたんです。熱いお湯でタオルを絞っておしもを拭かさしていただきました時に、何をしても反応のなかった患者さんたちが、「ああ、ええ気持ちやなあ」「ああ、兄さん。おおきにおおきに」と思いも掛けない言葉を掛けてくださったんです。それが私はもううれしくてうれしくて。何か「本当に神様ありがとうございます!」という気持ちになりました。そして、「もっと喜んでいただけるように」と…これもね、私自分自身がそんな気になろうとしたんじゃなしに、何かそんな気にならせていただいて、そして、もう気が付いたら、もうこの介護の仕事が苦にならないどころか、楽しみに変わってることに気が付いたんです。

(ナレ)仕事を始めた初日に辞めたいと思っていた岸野さんでしたが、患者さんたちに喜んでもらえたことがきっかけで16年もの間仕事を続けることができました。
 「一生懸命に、丁寧に」と教えてくれた教会の先生には、その後たびたび相談し、助けてもらいました。
 岸野さんは、当時のことを振り返り、こうおっしゃいます。

(岸野)よく考えてみると、家族のためとはいえ、「何でこんなことになってしまったんやろう」とか、「何でこんな仕事せんならんのやろう」と思ったことは、私一度もないんですね。まずそこで助けられてきたというんでしょうかね。
 金光教では、そうした働きを「神様のおかげ」と言いますけれども、こんな私でも最初から神様にそういうおかげを頂いてきてたということに気が付かせてもらったんですね。これは不思議なことでした。
 「冷えたタオルで気の毒やなあ」という気持ちにならされて、そういうことをさせてもらうような気になったのも、結局自分がそうしようと思ったんじゃなしに、そういうふうにさせていただいてきたということ。そして、そのことで、私自身仕事が続く元になってきたということ。そういうことに気が付かさせてもらって…もうその連続だったと言っても過言ではないと、振り返ってみると、そのように思わされることが多いですね。

(ナレ)その後、岸野さんの身の回りに起こっていた様々な出来事は落ち着きました。岸野さんは、長年にわたって施設で活躍されましたが、現在は教会に戻り、金光教教師として奉仕されています。
 これまでの自分の体験から、「どんなことがあっても、神様は必ず助けてくださる」とおっしゃいます。
 お参りされた人たちの話を親身になって聞き、寄り添っているその姿に、岸野さんの一生懸命さ、丁寧さ、そして優しさがにじみ出ていました。 

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