●信者さんのおはなし
「神様の物差し」
金光教放送センター
(ナレ)現在、64歳の山本さんは、かつて外資系メーカーでバリバリ働く営業マンでした。妻の真子さんと出会って、金光教を知りましたが、信仰に否定的ではないものの、自ら求めてはいなかったと、当時を振り返ります。
(山本)何に対してでも、自分が乗り越えて行かないかんことをですね、神様にお願いして。はっきり言うと、人間としてはあまり強い人間ではないのかな、弱い人間だなというふうな考えがありましたので、私自身は、無神論者でした。
(ナレ)そんな山本さんが三十代の頃、金光教の教会に参拝するようになりました。きっかけは、雨降りの下り坂で、タクシーに追突してしまったこと。幸運にも、運転手との示談がまとまって、大事にならずに済みました。
(山本)私は、ラッキーとだけ思いました。ラッキー。これくらいで済んで良かったなと思いました。で、その後、妻がですね、そこにお教会があるから御礼に行かないかん、と言うんですよね。私にしたら、「なんでや、なんでこんなんで御礼に行かなあかんねん」と思いましたけど。その時の妻の迫力は、すごかったですね。
(ナレ)それまで、一度も信心や参拝を勧められたことなどなかっただけに、山本さんはびっくりしました。教会では、先生に事故のことを聴いてもらいました。先生に話を聴いてもらうことを、金光教では「取次を頂く」と言います。神様と私たちを取りもっていただくという意味です。先生は、「運転は、自分でしているように思っているけど、いろんな自動車があって、道があって、運転させていただいているのだからねえ」と、話をしてくれました。それは、「自分の力でできることは限られている。私たちは、神様に生かされているんだ」という意味合いで、とても印象に残ったのでした。
(山本)その当時、外資系に転職して。自分で、実力主義の会社でと、勝手に思って。やっぱり自分はできているんだと思ってましたし。日々の夫婦生活の中で、我の強い生き方をしていたのだと思いますね。だから、たまさかの事故ですけども、私自身が、そういう自己中心的な生活を進めているということを、彼女はやっぱり感じていて、そこが問題だというふうに思っていたんでしょうね。
(ナレ)このように当時を振り返る山本さん。自然に金光教への興味が生まれ、金光教の本を読んで、教会へも参拝、取次を受けるようになっていったのでした。
(山本)自分の中にある、人間の得手勝手な損得の物差しと、神様の物差しとがあったら、私は神様の物差しが正しいと、皆に言っているんですけど、人間の物差しを使っていることが多々ある。それを、お結界で、この物差しを校正させていただく。
自分の中で御取次を頂いたことは、そのことに取り組ませていただく課題として腹が据わるというか、そういう感じはします。
(ナレ)四十代後半のこと、勤めていた会社が買収されて、リストラの危機が、突然身に降りかかりました。「もし仕事が無くなれば、2人の子どもを、私学に通わせ続けるのも難しくなる」。つらい胸の内を、何度も教会の先生に聴いてもらいました。夜も眠れず、自宅の神棚に祈ったと言います。
ある夜のこと、神様に祈っていると、「人の身が大事か、わが身が大事か。人もわが身もみな人」「神様は無駄ごとはなさらない」「四季の移り変わりは、人の力の及ばざること」「先を楽しめ」という4つの教えが心に浮かんだそうです。
(山本)その時、自分は何をしているんだ。自分の心配ばかりしている。自分がどうなるか。でも今、あなたの御用は、営業の部門のものであって、自分のスタッフやそういうことに対して、全く気持ちがいっていない。我がどうやばかり思っていたんですね。そのことを通して、なんかそれを思わされて。
(ナレ)一年ほどの時間をかけて買収問題は決着。退職者も一人も出ませんでした。山本さんも、新しい役職について、働くことになったのです。
(山本)この時は、「あーっ」と思いましたから。これが、自分にとっての転機であり、おかげだなと。そのことはね、そうなったという結果もそうなんですけど、自分自身が、お結界取次を頂いてて、もう本当に泣きそうになって。そんな時に、4つのみ教えが頭に浮かんで、思いました。結果ではなくて、その事柄を通して、何かそんなことですよね。問題に対して乗り越えさせていただける。
(ナレ)困難な問題を、人間の損得の物差しでなく、神様の物差しで見直すことは、安心へのプロセスだと確信する山本さん。今の思いを次のように語ります。
(山本)でも、将来に対する不安とかいったら、私たちがサラリーマンだった時以上に、今そうではないか。だとしたら、自分が経験してきた中で、そのままでいくと、本当に間違った方向に行ってしまうこととか、自分では耐えきれずにそこで挫折してしまうことがあっても、取次を頂いて、自分のその方向を、もう一度改めて俯瞰するみたいに。神様から、今、自分はどう見られているか。神様は絶対に、良い方向をお示しくださっているんだということを頂ければ。本当に泣きそうになっても、そこから新しい展開ができるんとちがうかなと思って。それをさせていただけたらと思うのが、まさに今。私はいつもそのことを思っています。
(ナレ)第一線を退いた今、次の世代に安心のバトンを繋ぎたい。篤い願いが込められていました。