こじらせ都に愛のハグ


●信者さんのおはなし
「こじらせ都に愛のハグ」

金光教放送センター


(ナレ)福岡県柳川市の金光教不知火しらぬひ教会で、江崎都えさきみやこさんのお話を伺いました。都さんは現在44歳、お話は子どもの頃にさかのぼります。

(江崎)家が専業農家で忙しかったっていうのもあって、あまり私とこう一緒に構ってくれる時間が無くって。ほんとに母親は常に忙しいから、背中の印象しかないんですよ。父親はご飯の時だけ一緒にいて、さっさと食べて、すぐ仕事に行くか寝るかっていう感じで。だからその小学校低学年ぐらいまではちょっと覚えてないんですけど、まあその、物心ついた小4、小5とかそれぐらいからは、ちょっとこう感情…、「今日学校でこういうことがあったよ」っていう、そういう事実は言えるんですけど、その時に、「こういうのが嫌だった」とか、「こういうのがうれしかった」とか、「こういうので悩んでる」とか、なんか、そういうのは言わないような…、そんな子どもだったと思います。
 まあ、小学校、中学校、高校というふうに年を重ねていくうちに、ちょっと「こじらせ」が出てきまして。そうですね、もう成長していくに連れて、どんどんひどくなっていったというか…、そんな感じですね。勉強はしたくなかったんだけど、やっぱりなんか、学校の先生にほめられたいとか、親にほめられたいとか、良い子でいたかったので、嫌々ながら、たぶん心はめちゃくちゃ嫌だったんですけど、なんかやってました。
 勉強は好きじゃなかったんですけど、勉強はまあまあできました。あのほんと、大学に入って初めて、自分というのを見せ付けられた感じで。入学して最初って、もう、みんな友だち作ったりサークル入ったり、わいわいがやがや楽しくしてるんですけど、私はほんとに人とそうやって話したり、表面的にはするんですけど、打ち解けて話すのがすごく苦手だったので、もうほんとに自分の家でいるのが好きとか、特定の仲良い人といるのだけを好んで。なんかとにかく家で一人で本を読んだりっていう大学生活が、結構4年間…、長かったと思います。ひと言で言うと灰色って感じなんですけど。

(ナレ)大学を卒業した都さんは、いくつかの仕事を経験します。でもそれは、何かもやもやした生きづらさを抱えた数年間でした。しばらくは東京で働いていましたが、29歳のとき、福岡に帰ってアスパラガスの栽培をすることに。そこでの、旧友・ゆきちゃんとの再会が、都さんを金光教の教会へ導くことになります。

(江崎)ゆきちゃんは私の高校の時からの大親友で、高校1年から3年まで同じクラスだったんですね。で、その子が金光教の御信者さんというか、お父様が熱心に信心されている方で。ゆきちゃんも、私と同じ時期に地元のほうに帰ってきて、2人とも独身で、彼氏もいないので、なんか、仕事帰りにお茶飲んで、いろいろ話してたんですけど。彼女も、お母さんの死というのをきっかけに、教会にお参りに行くようになって。で、その頃からすごくその話の内容が、ここの不知火の教会のお話とか、先生ご夫婦の話とか、楽しそうに。ほんと毎回、会うたびに、「先生がね、こうしてね」とかいうような話をしていたんですけど。ま、ほんと、これちょっとあれかもしれないですけど、奥様先生がやんちゃだった頃の話とか、教会のご夫婦がすごくラブラブなこととか。「もうなんかダーリンて言うとよ」とか、そういう話とか、なんかいろいろ教会の先生らしからぬ話をしてきて(笑)。こう「聖職者せいしょくしゃ」みたいなイメージが、やっぱり一般人としてはあるから、普通の人なんだなと思って。会ったことなかったので。「ふーん、おもしろいねー」って思って、当時は聞いてました。
 それで、ゆきちゃんは、やっぱり心が、あの、どんどんどんどん育ててもらって、ゆきちゃんはその結婚ということまでなったんですね。当時、お互い独身で彼氏もいなかったのに、もう、あれよあれよという間に結婚っていう流れになって。それでなんか、やっぱり私、うれしいけど何とも言えない複雑な気分で。その、結婚の報告受けた時に、たぶん、私が何とも言えない顔してたんでしょうね。それを見てゆきちゃんがおずおずと 、「2月の報徳祭、そこに来ん?」ていうふうに。「まあ全然気負わんでいいけん。先生たちも良い人たちやけん、来ん?」みたいな感じで言われて、お祭りに来たのが、ここに初めて足を踏み入れた最初です。その時はなんか、ほんと遊び感覚で、「あ、行っていいのかな」って思って。 興味本位で、じゃあ行ってみようかなって、行ってみようと思って。行ったら、ほんとにあの、奥様先生がですね、最初に私を見て、「わーっ」てハグしてくださったんですよ。「よう来たねー」って言って。そこで私、もう度肝を抜かれたというか。なんだこのアメリカ人はと思って(笑)。アメリカ人はって言っちゃいけんけど。わー、なんかすごいなと思って。この、受け入れるというか、もう有無を言わせない、この包容力というのにちょっと度肝を抜かれて。そこでこう一気にふわっと軽くなったっていうのはありますね。

(ナレ)それから8年。都さんの人生にもいろんなことがありました。結婚もしました、子どもも2人授かりました。悩んだこと、嬉しかったこと。そのたびに、教会の先生に話を聞いてもらいました。そんなこんなするうちに、都さんの心にも少しずつ変化が現れてきたようです。

(江崎)私、本当に派手な悩みとかないんですよ。離別があった、死別があった、すごいお金の問題があったとか、本当にそういうのがなくて。とにかく自分の心の扱いづらさでずーっと悩んできて。うん。心が動かなかったことが、本当にきつかったんですよね。何も心が動かない。うれしいもない、喜びもない、悲しいもない、みたいな…。それが一番きつかったんですけど、今はなんかその心が動くということがとっても幸せなことだなって。何を得たとか、何になったとか、そういうことじゃなくて、心がいろいろ動く、ということが何よりの幸せだなって思います。なんか世界が色づいて見えるというか。ちょっとかっこいい言葉で言いますけど。そんな感じに感じてます。

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