●信心ライブ
「心配を祈りに変えて」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。今日は、高知県、金光教越知教会の西川英資さんが、平成30年、51歳の時に金光教本部でお話しされたものをお聞きいただきます。
西川さんは、二十数年前に血液検査で、C型のウイルス性肝炎という診断を受け、数値が正常値の数十倍を示したため、すぐに入院することになりました。当時はまだC型肝炎のことがよく分かっておらず、薬の種類も多くありませんでした。一つだけ副作用の強い薬を投与され、肝機能の数値は正常値になりましたが、完全に治ったわけではなく、ウイルスがなくなるまでは油断がならないと、しばらく入院治療をしました。しかし、当時はこれ以上の治療はできないということで結局、退院になりました。
それから十年に一度、ウイルスの検査をしましたが、ウイルスは消えず、心配も増していきました。そのような中で大切なことに気づかれます。
(西川)これは神様のおかげを頂かんことには前に進むことができない。神様のおかげを頂くことしか他に道はない。そういう大きな難儀を目の前にした時、一生懸命神様にお願いをするわけでございますけれども、しばらく時間がたちますと、大丈夫かなあと、この問題は解決する日をみることができるんじゃろうかと、このように不安な気持ち、心配な気持ちが湧いてまいります。問題が大きければ大きいほど、心の中でいっぱいになります。
神様にしますれば、一度神様にお願いをしておいてですね、たびたび「大丈夫でしょうか。神様、この問題は本当に解決していただけるんでしょうか」。このように申しますことはある意味、疑いをぶつけておるように神様はお感じになっておられるんじゃないかなと、そのように思うわけでございます。
神様に一度お願いをしたら絶対に神様におかげを頂くはずだ、間違いなく神様にお願い申し上げたんだから絶対に大丈夫だと、絶対に神様を信じる心と申しますか、それを持たせていただきたいと思うわけでございます。心配する心を、絶対に神様を信じる心に変えよと。
(ナレ)そんな決心ができ、西川さんは神様を信じる稽古に励みました。しばらくして町の健康診断を受けた時に、お医者さんから、「もう一回治療にチャレンジしてみたらどうですか?」とうながされました。そして治療をするために精密検査を受けたところ、何と、「ウイルスは検出せず」という結果が出たのです。体内にウイルスがない、消えているということです。「もう治療の必要はありませんからお帰りください」という結果に、西川先生は驚いたといいます。
(西川)少しパニックのような状態でありましたけれども、帰りの道すがら、神様はすごいなあと。その結果うんぬんではなくて、こういう結果を私に下さったんだなあと。導いてくださったんだと、そのように強く感じさせていただいたのでございます。医学的にこの一連のことを説明と申しますか、理由づけはおそらくできるかもしれません。ですけども、私自身にとっては、神様がこの結果を導いてくださったんだとしか思えないのでございます。
(ナレ)その後、西川さんは、教会にお参りされる方々が命に関わるような病気をされることがあると、以前に神様に祈念したことを書き留めた帳面をめくっては、「ああ、この方はかつて、こういうおかげを頂かれたなあ」「あの時にはああいうおかげを頂いたなあ」と振り返るそうです。そして、その一つひとつをさかのぼって、その方に代わって、まず以前のおかげの御礼を神様に申しあげ、その後、その方のために改めて神様にお願いするのです。
(西川)自分はここまでおかげを頂いてきた。その一つひとつを、「ようおかげを頂いた、あの時もおかげを頂いた」と振り返らせていただき、一つひとつを、改めて、共に神様に御礼をさせていただいて、「このたびの問題も必ずおかげになるはずだ」という思いをもって、目の前の問題に取り組ませていただく。この内容は、いつでも誰でもどこでもできることかと思います。この時の事柄だけではなくて、おかげを頂いてありがたかった、その時の自分の心の動き、感動まで思い出すことができたら、十分かと思います。
「神様がありがたい」というこの気持ちを思い出していただいて、目の前の問題に、改めて、「このたびも絶対におかげを頂くんだ」という思いで取り組んでいただくことが、大切なことであろうと思わせていただきます。また、そういう気持ちになることが、神様への誠意だと感じさせていただいております。
(ナレ)何か問題が起きた時、心配する心を祈りに変える。これまでを振り返って、あの時はこう助かった、あのように救っていただいたと神様に御礼を申し上げることができれば、それはすでに助かりへの階段を上り始めているということになるのでしょう。