おまかせ、おまかせ、神様におまかせ


●信者さんのおはなし
「おまかせ、おまかせ、神様におまかせ」

金光教放送センター


(ナレ)現在、名古屋の介護施設で働く田中隆史たなかたかしさん、58歳。認知症の方や、寝たきりの方、体の不自由な方も受け入れている施設です。この施設で働く前の田中さんは、長年、営業職に携わってこられたのですが、15年前から目の病気、緑内障を患い、50歳を目前に転職を余儀なくされました。緑内障は、徐々に視力が低下し、失明にも至るものです。田中さんは現在の視力について、「例えば、人と向き合っても、なんとなく年齢や性別が分かるくらいで、顔立ちまで見ようとすると、相当近寄らないと分からないんです」と言います。この緑内障による視力の低下が、前の職を離れざるを得なかった理由なのですが、今、施設でいろんな方をお世話する中で、自分が緑内障を患っているからこそ、気づけたことがあると言います。

(田中)「できることは頑張ってやってもらう。その中で難しいことをちょっとお手伝いするのが介護の仕事である」というふうに教えてもらったんですね。だから、そうすると、やっぱり自分がハンディがある分、私よりも見にくい人もいますから、手を携えることもできるし、そういうところはちょっと生かされているのかなっていうふうには感じます。それが信心に直結できているかは別としても。でも、やっぱり私は、この人たちとは今しか一緒にいないので、やっぱり精一杯に一緒に生きていきたいなと感じますね。

(ナレ)「緑内障で目が見えにくいことが、今の仕事に生かされている。そう気づいて、自分でもお役に立てるんだと思えるようになった」。田中さんはそう言います。こんなふうに言ってしまえるのには、10年前、田中さんの身に突然降りかかったある出来事が関わっているのかもしれません。

(田中)生涯の最大の病気なんです。睾丸癌こうがんがんって言って精巣腫瘍しゅようですけど、摘出手術を受けました。それがちょうど10年前、48歳になる年でした。まあそれも非常におかげだったのか、今になればってことでしょうけど、最初は小さい病院に行ったんですけど、「すぐ大きい病院に行きなさい」って言われて、紹介状を書いてもらって行ったら、「もう、今日すぐ手術します」と言われて。「はあ」とか思って。よく漫画で「ガーン」とかあるじゃないですか。そんな気も全然なくて、何だろうとか自分で思いながら。でもすぐ教会に電話させていただいて、「手術になりました」とお伝えしました。その時に妻にも連絡はしましたが、ちょっと距離が離れてたので、その間に全部、書類とか自分で書いて、段取りしました。それがお昼ぐらいでしたけども、夕方5時ぐらいだったかな、手術は。無事に終えさせていただきました。ここ10年再発もありません。

(ナレ)田中さんが金光教を知ったのは、奥さんと出会ってからのことでした。お付き合いが始まり、奥さんの家族がお参りしている幅下はばした教会へ参拝するようになりました。田中さんは、「教会の先生や信者さんたちが、いつも親しくしてくれるし、居心地がいいな。信心の話もいいお話だな」と思っていました。しかし心にピンときていたわけではありませんでした。そんな中、癌の診断を受け、思いもよらない手術を受けることになって初めて、教会で聞いたある信者さんの言葉が心に迫ってきたのです。

(田中)実はその時に診断されて、「手術しますよ」と言われた時に、まずよぎった言葉があるんです、私の頭の中に。それが「おまかせ」っていう言葉なんです。それは、幅下にお参りするある信者さんが、ずっと口癖のようにおっしゃっていました。今思うと、「何でも神様にお任せしとけば大丈夫」と、そこまでを全部は言われなくて、ただ「おまかせ」とだけしか言われないんですけど。「おまかせ、おまかせ」って。それが、何かその時に一瞬、よぎったんですよ。はっと思って。「何だろ、何かあの人言ってたな」と思って。そうすると、なんかね、別に、怖いっていう気持ちも何もないし、まあ、「もうしょうがないじゃん、もうなってしまったし、任せるしかないじゃん。自分で何かできるわけでもないし」と思って。そこからすっとなんかもう別に普通に。はたからすると、「なんやこの人」って思われるくらいに冷静に。自分でね、さっき言いましたように、もう入院の申し込みとか自分で書いてるぐらいなんで。普通だったらね、分かんないですけど、人によっちゃあ、ガタガタしてできないのか知らないですけど。なんかそのへんも、普通に教会にもお届けできたし、妻に電話しても、「まあそうなんだわ」みたいに、そんなぐらいの言い方ができたのも、それも一つのおかげでもあったのかな。自分の中ではとても、今でもその言葉は自分の中では大事にさせていただいてます。

(ナレ)突然のがんの宣告、そして、当日の手術。目まぐるしく起こってくる思いもよらない出来事にも、田中さんは自分を失わず落ち着いていられたと言います。そこには、「おまかせ」という言葉の支えがありました。「苦難の時にすがれるものがある安心を知った、また、困った時の神頼みとは違った神様への向かい方ができたのかな」。田中さんはこの経験をそう振り返ります。
 この人生最大の一日で神様を感じた経験は、いつも田中さんを力づけていることでしょう。50歳を前にしての転職については、「なかなかつらいことも多いですよ」とこぼされます。それでも、介護の仕事に就くことになったのも、神様の導きだと感じています。
 田中さんは今、共に寄り添い歩む介護に励んでいます。そして、田中さんのその目は、精一杯生きる人へ向けられています。

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