長寿のひけつはありません


●先生のおはなし
「長寿のひけつはありません」

金光教本部
金光英子こんこうひでこ 先生


(案内役)おはようございます。案内役の岩﨑いわさき弥生やよいです。今朝は、岡山県金光教本部在籍・金光こんこう英子ひでこさんのお話をお聞きいただきます。タイトルは「長寿のひけつはありません」。

(金光)私の母は、昨年3月に99歳、白寿を迎えました。99歳の現在も元気で食事の支度をし、新聞を読み、家族や仲間との会話を楽しんでいます。
 その母は、91歳の時、腰の骨を圧迫骨折し、6ヵ月間寝たきりになりました。
 それまでは、二十歳で結婚してからずっと台所に立ち、多くの家族の食事を作り続けてきたのです。私は、おそるおそる食事をベッドに届けました。痛くて困るとか、歩けなくて不自由だとか、どんなつらさを訴える言葉が返ってくるかと内心ドキドキでした。ところが、母の口から出た言葉は、「私は今、ちっともつらくないのよ!」という言葉でした。「え! どうしてですか?」。思わず私は聞き返しました。
 すると母は、「91年も生かされてきて、つらいことや難儀なことにはたくさん出遭ってきた。でもね、今はありがたかったこと、楽しかったこと、うれしかったことを思い出しては、『ああ、ありがたかったなあ! 楽しかったなあ! うれしかったなあ!』と幸せな気持ちで満たされているのよ」と言いました。
 母は、圧迫骨折をして痛いはずだし、歩けなくて困っているはずです。何より70年以上もお料理を作り続けている母が、私の料理をなんと判定するかと思っていた私はびっくりすると同時にほっとして、ほっこり温かい思いで心が満たされました。
 そんな母は、6ヵ月の療養期間を終え、「今日から外に出て歩くように」とのお医者様のお言葉に、毎朝の神様へのお参りを再開させたのです。普通に歩けば今までなら10分とかからない距離を30分以上かけて歩きました。大変だったと思うのですが、母は言葉では表せないほどの大喜びのお参りでした。そのようにして毎日喜んでお参りを続けるうち、数ヵ月で以前の生活に復活していきました。
 このまま寝たきりになっても仕方がなかったのに、普通に毎日台所に立ち、お料理ができるのが本当にありがたいと、喜んで暮らすことができるようになっていきました。「年を取ると、だんだんできることが減っても仕方がないのに、90歳を過ぎても、できることが増えるなんて、恵まれていてありがたい」と言いながら暮らしていきました。復活したての頃は、お鍋やボウルやバットなどの調理器具は、シンクの下に置き、「棚の上には手が届かないので工夫したのよ」などと言っていました。ところが、だんだんお鍋やボウルも少しずつ元の位置に戻っていきました。この年になってもできることが増えるのはうれしいと大喜びです。
 このように、できないことを嘆かず、できたことを喜んで日々を過ごし、99歳の誕生日をありがたく迎えたのです。
 では、母はこれまでずっと穏やかな人生を過ごしてきたかというと、むしろ長編小説になりそうな激動の人生を送ってきたと言えます。東京のお屋敷のお嬢様として育った母が、結婚と同時に田舎の15人家族のお嫁さんになりました。包丁ひとつ持ったことがなかったのに、飯炊き風呂焚き、洗濯掃除に子守りの生活に突然なったのです。そして5人の子どもが生まれました。そんな時、夫が早く亡くなってしまったのです。さらに親孝行で優しかった長男が、10年前に亡くなりました。そして7月に長男の十年祭を迎えたのです。
 そして集まった、25人の家族に母が、お話をしました。
 「生まれて99年、結婚して79年、夫を亡くして44年、息子を亡くして10年、長寿のひけつをよく聞かれます。友人たちの、『長寿には水中ウォークがいいのよ』『磁気ネックレスがいいのよ』などの話を聞きながら、私にはそんな暇もお金もなかったのです。だから、長寿のひけつはありません。しかし、私は、亡くなった夫や息子と共に、一日一日を喜びながら生きています。夫も息子も優しくすてきな家族でしたから、亡くなった2人に毎日手を合わせ、困ったら相談をし、生かされていることを喜びながら暮らしたら、99歳までの命を頂いたのです」
 母は、今もひ孫たちとラジオ体操をし、お参りを欠かさず、そして台所に立ち、元気に暮らしています。

(案内役)いかがでしたか。
 よく「年を取ってから転んで骨折すると、寝たきりになってしまうよ」と聞きます。ところが、今日のお話では、91歳の時、骨折して、6ヵ月間寝たきりだった方が、お元気になられ、ラジオ体操をしたり、お参りも欠かさず、また、台所仕事までされていると知り、驚きました。
 長寿のひけつが無いと言いながら、何かあるに違いないと思って聴いていますと、いくつかひけつと思えることが見つかりました。それは、困ったことがあっても、ありがたいほう、楽しいほう、うれしいほうを見ているということ。そして、一日一日を、神様、霊様とお話ししながら、喜んで、朗らかに生きておられること。私も、こんなふうに朗らかな生き方がしたいなあと思います。なにか歳を取るのが少し楽しみになるお話でした。

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