産んでくれてありがとう


●先生のおはなし
「産んでくれてありがとう」

金光教大宮おおみや教会
松本尚まつもとたかし 先生


(案内役)おはようございます。案内役の岩﨑いわさき弥生やよいです。
今、ラジオから流れてくるお話が、自分のことだったら、この放送のこと、一生記憶として残りますよね。今日は、34年前、母親が自分のことを金光教のラジオ放送で話していたのを聞いた方が、今度は、母親のことをラジオ放送する、ちょっと素敵なお話です。埼玉県大宮おおみや教会・松本まつもとたかしさんのお話で、「産んでくれてありがとう」。

 私は関東にある金光教の教会で御用させていただいています。昨年の6月で62歳になりました。その誕生日の日のことを聞いてください。
 誕生日の朝、私は神様に、今まで生かされてきた御礼のお祈りをしていました。62年を振り返っていると、ある思いが湧いてきました。それは、長年にわたって教会長を勤め、8年前に亡くなった父と、90歳で現役の金光教教師である母への思いです。それで、母が元気なうちに「産んでくれてありがとう」と言おうと思ったのです。
 なぜそのようなことを思ったのかをお話しします。私が28歳の冬のことでした。
 私は大学を出てから6年間、大阪の高校で教員をしていました。当時、時々参拝していた金光教の教会に、久しぶりに参拝しました。先生は温かく迎えてくださり、その日の朝に放送された金光教のラジオ放送を聴かせてくれました。なんと、母が、私の子どもの頃のことを話していました。
 私は小学校2年生の時、心臓に穴が開いていると診断されました。「これからは一生、激しい運動をしてはいけない」と医師に言われたのです。
 でも私は体を動かすのが大好きだったので、水泳や長距離走などの体育の授業を見学する以外は、ソフトボールや缶けりなどで、外を駆け回っていました。両親に「あれをしたらダメ、これをしたらダメ」と言われた記憶がないのです。
 その時の思いを、母がラジオでこのように語っていました。
 「わが子の健康を願わない親はいません。まして穴の開いた心臓を持った子を抱えていれば、なおさらのことです。でも信仰の世界に生きる私たちは不思議なのですね。土壇場にあってもただ恐れおののくばかりでなく、そこから抜け出ることができるのです。『神様、息子は今夢中でスポーツに挑戦しています。どうぞ彼なりの精いっぱいの命の燃焼をお見守りください』と祈る中で、息子にブレーキを掛けずに済むのです。もともと活発に動き回る能力は神様から頂いたもので、この子から動くということを取り上げたら、何もなくなってしまう。『神様どうぞよきようにお導きください』と祈りつつ、『あれはダメ、これはダメ』は心の片隅に追いやって神様に
すがり続けました」
というのです。
 今、私も3人の親とならせていただきましたので、その時の両親の思いはよく分かります。子どもには、「一分一秒でも長生きしてほしい」と思うのが親心です。でも「この子の命が輝けるように」と、何も言わずに祈ってくれ、見守ってくれた両親でした。
 そして2年後に再検査をした結果、自然に穴がほとんどふさがっていたのです。私はこのラジオ放送を聞くまで、このことをすっかり忘れていました。
 当時の私は、社会人として自分の力で生き、精神的にも経済的にも自立していると思っていました。でもそれは表面的なことであって、両親はじめ、たくさんの祈りがあって私があるのでした。それに気付いた時、私の進む道は決まりました。「教員ももちろん大切な仕事だけれど、両親のように人の助かりを祈るお仕事をさせていただこう」と、金光教教師となり、31年が過ぎたのです。
 さて、誕生日の日は、母に会って最初に「ありがとう」を言おうと思いましたが、言えません。その後一日、二人でドライブを楽しみましたが、言えませんでした。
 夕方になって実家に戻り、母を降ろして駐車場から出る時にも、やはり言えませんでした。車を発車させると、実家の前の横断歩道に人が見えました。ブレーキを掛けると、助手席のシートの下から、母が忘れた水筒が転がり出てきました。これは、神様が「言いなさい」とおっしゃっているのだと思い、バックして駐車場に戻ると、母はまだそこにいました。車の窓を開けて水筒を渡し、「産んでくれてありがとうございました」と言いました。すると耳の遠い母は、「はぁ? なに?」。
 仕切り直しです。もう一度、ゆっくりと大きな声で、「産んでくれてありがとうございました」と言うと、はにかんだような笑顔を見せてくれました。
 …帰りの車の中で、もう一度言いました。「産んでくれてありがとう」「祈ってくれてありがとう」「あなたの祈りを引き継いでいきます」。

(案内役)いかがでしたか。
 子どもは、どうしてもジッとしていられないものです。動き回る尚さんを、お母さんは、さぞかし心配したことでしょう。その心配を祈りにかえて、神様にすがり、見守り続けていたのですね。「産んでくれてありがとう」。なかなか照れくさくて、言えない言葉ですが、これまでの親の恩に感謝するぴったりの言葉だと思います。
 今日は、親子の微笑ましい姿が目に浮ぶようなお話でした。

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