私を変えたもの


●私からのメッセージ
「私を変えたもの」

金光教おおとり教会
工藤由岐子くどうゆきこ 先生 


 おはようございます。大阪府の金光教鳳おおとり教会の、工藤くどう由岐子ゆきこです。今日は私の、小学生の時の話をしたいと思います。
 私は昔、極度の人見知りでした。一人っ子のせいもあってか、集団生活になかなか馴染めず、学校が苦手でした。
 家の中では、両親と普通に話し、素の自分でいられました。でも、夜になると、あー明日も学校か・・と思ってしまうからか、気分が悪くなることがよくありました。学校では、口を固く閉じてしまって、思っていることを言葉にも顔にも出せませんでした。
 新学期になると、担任の先生の家庭訪問がありますが、特に記憶に残っているのは、低学年の時の先生が、母に「しゃべってくれなくて困ってます!特別な学校に替わられてはどうですか」と言われたことです。先生は私を心配して、言ってくださったんだと思うんですが、当時の私には、こんな子は受け入れられないというふうに聞こえ、子ども心にも、私は先生に嫌われているんだなと思いました。母も、きっと辛かったと思います。
 父と母はそんな私を心配して、「どうか、娘が、都合よく学校生活を送り、自分の思っていることを表現できますように」と、毎日神様にお祈りしてくれていました。
 そうして月日が経ち、私は五年生になりました。その時の受け持ちの先生が、木村吉男きむらよしお先生という、当時三十六歳の先生でした。先生は、私が問題のある生徒だというのを聞いておられ、最初から意識して私のことを見てくれていたそうです。そして先生はあることを思いつかれました。それは『先生への手紙』というノートを作り、そこに授業のことでも友だちのことでも、何でもいいから自由に書いて、出してくださいというものでした。それを聞いて私の心が動きました。私は全然お喋りができないけれど、書くことならできるかもと思いました。最初に何を書いたか覚えていませんが、印象に残っているのは、先生がいつも、私が書いた文章と同じくらいの長さで、丁寧にお返事を下さったことでした。返事の最後に、先生手作りの動物シールが貼ってありました。毎回シールのイラストが変わるので、それを見るのも楽しみでした。先生とのやり取りが続いて、だんだん私の中で変化が起きてきました。感情を全然出せなかった私が、先生への手紙の中では、嬉しかったこと悲しかったことを、素直に言えるようになりました。
 私の心が開くキッカケとなった、先生への手紙ですが、更に私が変わる、もう一つの出来事がありました。それは、六年生の時です。
 夏休み中に体験したことを作文にするという宿題が出ましたが、私の書いたものが選ばれ、学校を代表して発表することになりました。市内に、十六校の小学校がありまして、それぞれの代表者がうちの学校に集まり、順番に発表していくというものでした。
 親は驚いて「これは大変なことになった!この子にはできないから、お断りしないと」と思ったそうですが、木村先生にこう言われました。「これは校長先生とも話し合って決めたことです。娘さんにとっても、良い経験になると思いますから」。とそれを聞いて、両親も応援してくれました。
 木村先生は、日曜日なのに学校に出てきて下さり、発表に向けてのお稽古をしてくれました。講堂で名前を呼ばれたら、ステージの横から階段を上がり、定位置に着くと、真っ直ぐ前を向いて、ひと呼吸おいてから礼をする、という所作を教わりました。
 当日は、うちの学校の六年生全員と、市の教育委員会の先生がたも来られました。私の両親も来ていました。ドキドキしましたが、無事に、発表会を終えることができました。その時の様子を、後日木村先生が、学級通信に載せてくださいました。このような内容です。
 「由岐子さんが本校の代表に選ばれたことはクラスにとっても実に名誉なことで、共に喜び合いたいと思います。十四番目に発表した由岐子さんは、落ち着いたはっきりとした口調で、自分の体験をみんなに話しかけるように発表しました。終始堂々とした態度で、その内容、声量等とにかく立派でした。講評して下さった教育委員会の先生も、特に由岐子さんの名前をあげ、ほめておられました。最高の出来ばえでした」。そんなふうに書かれていました。
 先生は私のことだけじゃなく、何かで頑張った生徒がいたら、学級通信に名前を乗せて褒めてくれる人でした。私は、自分がやったというより、何かの力に突き動かされたような感じでした。それが神様だったのだと思います。
 後から先生に聞いたのですが、発表が終わって、先生が私の両親の所にいくと、二人とも「先生ありがとうございます」と言った後は何も言えず、泣いていたそうです。
 かつて、喋ってくれなくて困ってますと言われた私が、体験発表をさせていただけるまでになりました。これは神様が木村先生との出逢いを用意して下さって、私を育てて下さったからだなと、今ではそう思います。娘の私を心配し、祈り続けてくれていた両親にも、とても感謝しています。
 私はその日以来、カチカチだった固い殻が破れました。笑うことも増えました。
そして歳月が流れ、私は二十三歳で金光教の教師になり、結婚もし、二人の子どもを授かりました。その子たちももう社会人です。
 小学生の時の私のように、感情が出せない、話せないという方もいらっしゃると思いますが、
 「どうか、良い出会いがありますように。また、一歩踏み出す勇気を持てますように。その少しの勇気に、あなたの運命が変わりますように」と祈っております。

タイトルとURLをコピーしました