神心目覚めて(テーマ:介護)


●ピックアップ(テーマ:介護)
神心かみごころ目覚めて」

愛媛県・金光教伊予いよ吉田よしだ教会
尾﨑順子おざきじゅんこ 先生


 私の父は、まもなく85歳になりますが、パーキンソンの持病があるところに、昨年、ヘルペスを患ったことで、その後体調がずっと思わしくなく、体の自由が効かなくなってきました。歩行が困難となり、家の中はなんとか自分で動けますが、服を着替えることなど、生活の全般に何らかの手助けを必要とする状態となりました。また、ずっとヘルペスの後遺症があり、神経痛で難儀をしています。
 発症前はちょっと短気な面はあるものの、持病を抱えつつ、それなりのユーモアセンスもあり、穏やかな年寄りという感じでした。それが痛みを伴うこの病気になってからというもの、薬の副作用もあってか、思うようにならないと腹を立て、とにかくわがままになり、「どうしてこんなつらい病気になったものか」と愚痴を言い、まるで性格が変わったかのようになってしまったのです。
 最初は、症状の重さもあり、「かわいそうに」という思いで世話を焼きながら、そのうちには良くなるだろうと思っていました。しかし、皮膚表面の症状が癒えても、なかなか痛みが取れなくて絶えず怒りっぽくなっている父と接することが長引くにつれ、私自身、精神的に疲れを感じるようになっていました。
 そんなある日、いつものように父の付き添いで病院へ行った時のこと、近所に住む奥さんが義理のお父さんの車いすを押している姿を目にしました。彼女とは、去年、私が町内の世話役を引き受けたことからあいさつを交わすようになりました。とても感じのいい奥さんだなあと思っていましたが、詳しい家庭の事情までは知りませんでした。
 待合室から診察室へ、そして途中でのトイレ、会計での支払い、駐車場から玄関まで車を移動させることなど、ちょうど同じ時間帯だったもので、私も同じような流れで父の車いすを押しておりました。「お大事に」と、お互いに言い合って別れたのですが、赤ちゃんを背負い、傍らに幼児を連れ、そしてお義父さんの車いすを押している彼女の姿が、私にはとても神々しいものに思えたのです。というのも、そこには気負いや悲壮感といったものが感じられず、実にさりげなく優しくお世話されている様子に真心が感じられ、こちらまでとても爽やかな気持ちになれたからです。と同時に、自分は一体どんなふうに父に接しているかを改めて考え直させられたのでした。
 例えば、「背中をさすってくれ」「湿布を張ってくれ」など、用事を頼まれる度に口には出さないものの「またか」とか、「一度に言ってよね」という思いが沸々湧いてきては、言葉の一つも掛けずに、ついとげとげしく接してしまうのです。「確かにつらいだろうけれど、あそこまで横暴な言い方はしなくてもいいのに」「もう少し、世話になってありがとうという感謝の言葉の一つもあってもいいじゃないの」といった具合に、心の中では病人を責めてばかりの日々でした。
 家の中での態度は、きっと病院でもそのまま出ていたことでしょう。もしかしたら、「私は父の世話で大変なんですよ」と顔に書いているような状態で悲壮感を漂わせ、機械的に冷たく車いすを押していたかもしれません。突き詰めていくと、これだけしてあげているという自分の思いばかりが強くて、相手に対して、「つらいだろうに、少しでも痛みが和らぎますように」という祈りの心は消えていたのです。そして、父がこの年齢まで、無事に過ごさせていただいたことのほうが、なんとありがたいことであったかを痛感したのでした。
 どちらがつらいかということで比較すれば、はるかに父のほうがつらいわけで、よく「代われるものなら代わってやりたい」と言います。しかし、代われない以上、こちらは相手の助かりを願いながら、私の役目を果たせる限り、お世話をさせていただこうと、思いを変えることにしたのです。
 まず、言葉遣いを少し優しく丁寧に言うように心掛けました。父から呼ばれるたびに「なあに?」と返事をしていたのを、「はい」と答えるようにしただけで、いら立ちや腹立たしさが少しずつ緩和されるような感じになってきました。こちらの態度が少しずつ変わることによって父の言葉も変わってきました。例えば、体をさすっている時にも、「すまない」とか、「もういいよ」という言葉が聞かれるようになりました。私のほうも惰性でさすっていたところを心の中でわびたり、今までとは違うその場の空気の和らぎを感じたりして、お互いの助かる方向が見え始めたように思います。
 金光教では「かわいそうと思う心が神心である」と言われており、そう思う心は、誰もが持ち合わせています。相手を思いやる心で人の助かりを神様に祈っていくことが、共に助かることになってくるのだと思います。生活の場では、何をするにも真心を込めて行い、人に対しては、優しく親切を尽くすことが大切だと思います。
 病院にはいろいろと大変な状況の患者さんや家族の方がおられますが、そういう中で彼女のように温かな態度の人がいると、周りの人々の心が自然と和むことになるのでしょう。彼女の中にある神心が、人々の心に響き合うという感じでしょうか。事実、私自身、しんどい状況にどっぷりつかっているうちに、凍らせてしまった神心を、目覚めさせられた気持ちがしたのです。
 父は完治と言うには時間が掛かるかも知れませんが、せっかく目覚めた私の神心を眠らせることなく、父を含め、病気の人たちのことを思いやり、回復を祈りつつ、引き続き努めて優しく接していきたいものだと思います。

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