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「母の笑顔」
大阪府・金光教天満教会
森田貴子 先生
今年88歳になる私の母は、現在、週2回、介護施設のデイサービスのお世話になっています。家に帰って来た母に、「お母さん、お帰りなさい」と玄関で迎えますと、ニコッと笑顔で「はい、お帰り、ご苦労さんです」と答えます。母は、いつもとんちんかんな会話で、家族を笑わせてくれています。
私の家は金光教の教会で、父は三代目になります。実の娘の私と縁あって夫は教会を後継してくれました。子どもたちも4人授かり、幸せな家庭を築かせていただいています。
母は、若い頃から、よく働くしっかり者で、特に、戦争の後遺症で耳が不自由な父のために、いつもメモを取り、人との会話の仲立ちをする献身的な人でしたが、8年ほど前から、徐々に認知症の症状が出始めました。
ある日の午前中のこと、私はお風呂場や洗面所の掃除をしていますと、何やら、焦げたような臭いと共に黒い煙が漂ってくるのです。もしやと思い、台所に飛んでいきますと、真っ黒な煙がもうもうと立ちこめ、ガスコンロから大きな火の手が天井まで上がっていました。私はその瞬間、「神様助けてください」と近くにあったバスタオルを水で濡らし覆いかぶせ、小さな消火器で、幸いにも消火することができました。夫と父が驚いて駆けつけてくれましたが、部屋の中は黒い煙が充満し、窓から吹き出ていました。天井は幸いにも新建材のおかげで表面が焼け焦げただけで済みました。小火で済んで良かったとホッとした途端、ヘナヘナっと座り込んでしまいました。気を取り直して、火元をよく見ると、コンロには天ぷら油の入った鍋が置いてあり、どうも、母が火を付けたままゴミを外に出しに行き、そのまま忘れてしまったことが原因のようでした。
しばらくして、何も知らない母が外から帰ってくると、事の重大さにあぜんとしていましたが、わびる様子もなく、「まあ大変なことやったね」とまるで他人事のように言うのです。私は、その時、母を責めようとしましたが、夫が傍らで、「お母さんは、ひょっとして認知症が始まったんと違うか?」と言った言葉に、「まさか!」と信じられませんでした。この出来事から、次第に認知症が進行するようになりました。
ある時、母の枕元にあった時計が見当たらないので、尋ねると「私は知らんよ。誰かが持っていったんと違う?」ととぼけるのです。結局、時計はタンスの中から見つかりました。「お母さん、ここにあるやんか」と言うと、「誰かが隠したんや」と言い張るのです。そんな出来事が次から次と起こってきました。すぐに物事を忘れてしまう母に、何度も同じ説明をしなければならないことが煩わしくて、つい、その態度に腹が立ち、情けない思いでいっぱいになりました。
次第に母を責めてばかりいるようになり、「なんでこんな事が分からんの」と言葉遣いも荒くなります。母もいよいよ険しい顔で反抗的な態度になります。すると、娘や息子までが、「おばあちゃんはしようがないなあ、ええかげんにしいや」と責め立てます。
そんなある時、夫が、「こんな時こそお母さんに優しくしいや。お母さんは昔、赤ちゃんのお前を、愛情を込めて育ててくれたんやろ。お母さんは今、反対に赤ちゃんになったんやから、今度はお前がお母さんになって、どんなことでも優しく受け入れて、抱きしめてあげや」といさめてくれました。更に、「どんな時でも、笑いのある家、優しくて思いやりのある家にしようや」と励ましてくれました。
なかなか難しいことでしたが、できる限り、たしなめることをやめ、笑顔で母のありのままの姿を受け入れるように努めました。すると不思議なことに、徐々に母は、笑顔を取り戻し、何かをしてあげると「ありがとう。お世話になります」とお礼の言葉を言うようになったのです。母の笑顔に笑顔で応える。それだけで母は幸せいっぱいの顔になります。私を慈しんで育ててくれた母に、今、せめてもの恩返しができていることに、何かありがたい気持ちでいっぱいになるのです。
金光教の教祖様は「かわいそうに、何とかしてあげたいと思う心がそのまま神の心である」と諭しておられます。私が神様の心のように母を慈しめば慈しむほど、母もまた神様の心のように穏やかになれる。その姿を神様が一番喜ばれ、幸せが生まれる元になるような気がしてなりません。
母は、今年になって風邪をこじらせ、入院したことが元で、とうとう車椅子の生活になってしまいました。幸い、老人介護の認定を受け、デイサービスのお世話になることができました。また、家では子どもたちが、「おばあちゃんは笑顔が一番やなあ」と気持ちよく手伝ってくれ、何とか日常生活をこなすことができております。家族をはじめ、いろんな方のお世話になることがどんなにありがたいことか、感謝の心でいっぱいです。先日、施設の方が、「お母さんはいつも笑顔で『お世話になります』と感謝してくださるので、施設で一番の人気者なんですよ」と語ってくれました。今日も母の笑顔に、私も負けずに笑顔で頑張っていきたいと思います。