●先生のおはなし
「お祖母ちゃんのソファ」

愛知県・金光教牧野教会
服部貴子 先生
(案内役)おはようございます。案内役の大林誠です。
以前、ある心配事があって、教会の先生にお話しした時「それは心の無駄遣いだ。心配しても仕方がないことは、神様にお願いして、お任せしておきなさい」と言われたことがあります。無駄遣いはお金や物のことだけではないんですね。今日は私にそんなことを思い出させてくれたお話です。
名古屋市、金光教牧野教会の服部貴子さんで、「お祖母ちゃんのソファ」。
家族で話をしていた時のことです。妹が、「私が初めて『神様ってすごい!』と思ったのは、あの時だな」と話し出しました。
それは、亡き祖母が健在で、私たち姉妹がまだ20代の頃のことでした。ある日、近所の家具店から電話がかかってきました。「ご注文の家具の件で…」と言われますが、父も母も心当たりがありません。驚いていると、祖母がソファを注文していたことが分かりました。
80歳を越えた祖母は、早くに夫を亡くし、長年、一家の大黒柱として頑張ってきました。そのため、家のことは、祖母が決めるのが習慣になっています。今回は、居間のソファを思い切って買い替えようと、家具店のチラシを見て注文したようです。
ところが、チラシをよく見ると、サイズやデザインがどうも部屋に合わないように感じます。祖母にそのことを伝えてみましたが、商品を気に入っている祖母は、「そんなことはないはず」と言って聞き入れてくれません。
家族が代わる代わる話してみますが、納得するどころか、逆に機嫌を損ねてしまい、ついには「絶対に買う」と言い出してしまいました。元々頑固なところがあり、こうなってしまうと手がつけられません。
そんな様子に父と母は、もうおばあちゃんの思うようにさせてあげようということになったのですが、最後まで納得できなかったのが妹でした。妹は当時まだ学生で、実家を離れた私とは違い、家で長い時間を過ごします。毎日使う居間で、気に入らないソファを我慢しながら何年も過ごすことを思うと、どうしても嫌だったのでしょう。私に「もう一回、おばあちゃんを説得してみて」と頼んできました。けれども、私も祖母の気持ちを変えることはできませんでした。
がっかりしている妹に、「これだけ言っても駄目なら仕方ないよ。私はもう、神様にお任せすることにした。あんたも説得じゃなく、一緒に神様にお願いしよう」と声をかけました。
私の家では、曽祖父の代から金光教の信心をしています。小さい時から、心配事やお願い事を神様にお祈りしてきました。
部屋に合わないソファを毎日我慢しながら使うことになると思うと暗い気持ちになりますが、ソファを買いたいという祖母の気持ちの底には、家族や親類、知人が集まる場所を大切にしたいという思いがあります。祖母の気持ちを傷つけずに、購入を断念させられないかと家族が手を尽くしてみましたが、万策尽きてしまい、せめて神様に、「家族皆が納得する結果になりますように。どうか、この先も家族が笑顔で過ごせますように」と、祈る気持ちになったのでした。
すると当日、思わぬことが起こりました。前もって家具店にも確認していたはずなのに、購入したソファが大きすぎてどうしても部屋の中に入らないのです。これにはお店の方もお手上げで、結局、持ち帰ってもらうことになりました。
お店に申し訳ないので、何か同じ位の値段の物を買うことにしました。すると、母が以前から買い替えたいと思っていた来客用の椅子が見つかって、それを購入することになりました。そして、これまで使っていた来客用の椅子を古いソファの代わりに居間に置いてみると、ぴったりいい感じに収まったのです。この様子を見て、祖母も心から納得してソファを買うのを諦めてくれたのでした。
この時の出来事が、妹の心に強く印象づけられたようです。妹は、「初めは、『神様にお願いしたって、どうなるというの?』と思っていたのに、神様にお願いしたら、誰も思いつかなかった形で解決した。おばあちゃんも傷つかず、お店の人も困らせないで、皆が喜ぶ結果になった。あの時は本当に、『神様ってすごいな~!』と思ったよ」と語ったのです。
私は忘れかけていた出来事だったのですが、妹のその感動に心打たれて、当時のことを思い出しました。
「皆が集まる居間だから」と家族のことを考えてくれた祖母の気持ちや、そんな祖母の思いを大事にしようとした両親の気持ちを、神様が全部受け止めて、一番良い解決方法に導いてくれたあの出来事。それが今、妹の心にとどまっていたことを知り、私は温かい気持ちでいっぱいになりました。
(案内役)いかがでしたか。どこの家庭でも起こってきそうなもめ事ですが、みんながお年寄りの気持ちを大事にしようとしているところがいいですね。
そして、どうにもならないと思った時、無駄に慌てたり騒いだりせず、自分の思い込みをいったん放して、神様に引き受けていただくことができる。これが信心する人の強みなんでしょうね。そこから、みんながニコニコできるような結果が生まれてくる。
どこにでもありそうに見えて、やっぱりこれは、家庭の中に信心が生きていればこその風景だなあと、そんなふうに感じました。