自分のこと好きですか


●信心ライブ
「自分のこと好きですか」

金光教放送センター


(ナレ)おはようございます。今日は、金光教姫路ひめじ教会の竹部沙矢たけべさやさんが、令和3年8月に、大阪の玉水たまみず記念館でお話しされたものをお聞きいただきます。

(竹部)皆さん、自分のことは好きですか?
 私は、「できる自分は好き、できない自分は嫌い」でした。私は自分に厳しいタイプの人間です。「もっとやれる、もっと頑張れるはず」と自分を追い込むのが、めっちゃ得意です。そして、潰れることも多々あります。潰れる時というのは大抵、「こんなこともできない自分」が受け入れられず許してあげられない時です。一方で、夫に「自分のこと好き?」って聞くと、「うん!」って即答。「いいところも、足りてないところも、ぜーんぶ含めて俺やから」っていうスタンスです。夫を見ていると、生きやすそうでいいなあと思います。
 自分を許せない私と、自分を許せて生きやすそうな夫。この違いはなんでしょう? どうしたら自分を許してあげることができるのでしょうか。
 夫は、金光教の教会で生まれ育ちました。私は、金光教のことは何も知らなかったんですが、夫といるととても心地がいいのです。夫は、自分が好きだというのと同じように、私のことを大好きでいてくれます。夫は、できない私を責めないんです。昔、私が仕事でいろいろあって、心も体もボロボロの時に、「沙矢ちゃんの、いいところも足りてないところも、ぜーんぶ含めて好きなんやで」と声をかけてくれました。それを聞いた時、心がジーンとあったかくなって、自分を責めてばっかりいた私が、ちょっともう自分のこと許してあげようかなと思えたんです。そう思えると、ますます心があったかいんです。自分を許してあげるって、こーんなにも、あったかいもんなんだな、と感じました。なんとも言えん、あったかいんです。この時に感じた温かさが、ずっと忘れられずにいました。「いたわる」とか、「慈しむ」ていう言葉がピッタリだと思います。
 しばらくしてこれと同じ温かさに出会いました。それは、金光教に出会って、今まで、考えたことも知ったこともなかった「神さま」について考えた時でした。皆さんは、「神さま」というとどんなイメージがあるでしょう。私は、神さまって、私含めて、人間のこと、ほーんまに愛してはるんやなーっていうことです。
 私は仏教の家に生まれ育って、結婚してから、金光教の先生を養成する学校に入って、どんどん神さまに出会っていきました。神さまの好きなところは、なんといっても、私の全てをまるっと受け入れてくれるところです。喜びも、怒りも、哀しみも、楽しいことも、どんな気持ちも、神さまは、「おー、そうかそうか」と全て受け入れてくださっていると思っています。
 神さまの考えていることが分からなかったら、グイグイお
結界けっかいに行きます。お結界とは、神さまに、言いたいことを言っていいところです。お結界には、金光教の先生が座っておられ、その先生が、私から神さまへ、私の伝えたいことを伝えてくださるし、神さまから私へ、神さまの伝えたいことを、口や体のない神さまに代わって、教えてくださいます。人間相手だと、「嫌われたらどうしよう~」とか、「今、連絡してもいいんかな」とか、いろいろ考えてしまいますが、お結界に座っておられる先生や神さまに、そんな気配り不要だから楽です。絶対、嫌いになられません。私も何回、「神さまのことが知りたいのに、考えてることが分かりません」と泣きながら、時には怒りながらお結界の先生に気持ちをぶつけたか分かりません・・・・。お結界の先生の話を聞くと、だんだんに、「えー、私って、めっちゃ神さまに愛されてるやん。こーんなに許されて生きている私だったんか。コテンパンに自分のこと責めんでも、こんな自分のことでも、ちょっとは許してあげてもええんかな」。そう思えてくるのです。そう思えると、「私」という人間は変わらないけれど、「私を見る私」の眼差しが優しくなる。目の前に広がる現実は変わらないはずなのに、なんだか優しい世界が広がってるように思えてくるのです。

(ナレ) いかがでしたか。自分を許せなかったという竹部さん。お結界で教会の先生を通じて悩みをぶつけることで、物事に対する考え方が変わり、現状をより良く捉えることができるようになられました。そうして自分を愛し、生きやすい人生観を得られました。
 私自身も、教会の先生に、お結界で悩みを聴いていただくことがあり、先生はしっかりと受け止めてくださいます。そしてつらい中にも、ふと良いことに気づかされることがあって、気持ちの持ち方が変わるのです。
 苦悩や生きづらさを感じる時、神さまを頼ることは、生きやすさの第一歩になるかもしれません。

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