●先生のおはなし
「片腕を失くして」
兵庫県・金光教上ノ上教会
平野千鶴 先生
(案内役)おはようございます。案内役の大林誠です。
今日は、兵庫県宍粟市にある金光教上ノ上教会、平野千鶴さんのお話です。タイトルは「片腕を失くして」。ちょっとびっくりするようなタイトルですね。いったい何があったんでしょうか。
2年前になります。いつものように会社で仕事をしていると、上司に呼ばれました。緊急の連絡が入ったようです。食品会社に勤める息子が、職場でらせん状の機械に腕を巻き込まれ、レスキュー隊が来ている、とのことでした。もうびっくりして、息子の会社に飛んでいきました。
現場にはレスキュー車に救急車、パトカーが止まっており、物々しい雰囲気でした。「今、懸命に救出しているのですが、機械を分解するのに時間がかかっています」という説明を受けて、どうすることもできず、いつもお参りしている金光教の教会に電話を入れて、「どうぞ、なんとか命は助かりますように」とお伝えさせていただきました。9月になったばかりで、まだ暑く、汗が出てもいいのに、不思議と汗は少しも出ず、暑さも感じませんでした。私のそばにいたお巡りさんが、自動販売機からジュースを買って手渡してくださいましたが、のども乾かず、ただただ心臓がバクバク脈打っていたのを、今でも忘れられません。しばらくして、ストレッチャーに乗った息子が運び出されましたが、薬で寝かされていました。すぐに教会に「どうにか命は助かるようです。ありがとうございました」とお礼の電話を入れました。それから、息子と私はドクターヘリで病院に向かいました。
右腕肩から7センチ位のところで切断するより仕方なし、との診断で、手術をしていただきました。手術室より出てきた時に息子のそばに行くことができ、「よかったなあ、生きとるで」と声をかけました。切断された右腕ですが、法律によると火葬する必要があるとのことで、翌日、息子のお嫁さんと2人で、箱に入った右腕を持って火葬場へ行きました。柩を載せる台に右腕が載っているのを見て、「これが体じゃなくてよかったな」と、2人で喜びました。五体満足に生まれてきて34年間使わせてもらってきた右手、よちよち歩きで両手を広げて私に向かってくる姿とか、中学、高校とバレーボール部で頑張った姿とか、3人のわが子を抱っこする姿など、当たり前としてできていたことがありがたかったと思え、神様と右腕にしっかりとお礼を言って、息子のお嫁さんと2人で大泣きしました。
息子のけがを、3人の妹弟をはじめ多くの人が悲しみましたが、当の本人はそれほど落ち込んだ様子も見せず、コロナ禍で面会もできず外泊もできない中、リハビリテーションに3カ月入院し、簡単な義手を使いこなせるようになって帰ってきました。会社に復帰してからは、リフトを操作する仕事を任されて頑張っています。
昨年の夏、息子がけがをする前に所属していた部署の人達の間で、コロナが流行りました。その部署が止まってしまうと、すべての機械が動かせなくなり、会社が回らなくなってしまうということです。そこで息子に声がかかりました。息子は、片手でできる事は片手で、できないことは人を使ってやり、また、けがをしてからはしていなかった夜勤もし、その局面を乗り切りました。親としては、片手では以前のように十分な仕事はできないだろうし、会社のお荷物になるのではないかと心配するところもあったのですが、「息子さんのおかげで会社を回すことができた」と大変喜んでいただき、息子も「ちょっと株が上がったかな」と喜んでいました。お荷物どころか、片手でも会社のお役に立つことができたことが、本当にありがたかったです。
また、仕事以外では、身体障害者スポーツ、パラスポーツのサッカーに参加させてもらって、キーパーとして楽しんでいます。右腕がなくなり、左手と口を使い何でもやってのける息子に、「大事に使わせてもらいよ。左手を酷使して左手までダメになったらどうするの」と言うと、息子から「左手も使えなくなったら、足がある」と返ってきました。そういうものの捉え方をさせていただけることがありがたいなぁと、神様にお礼申した次第です。息子のけが以来、毎日、今日一日みんなが元気に過ごせたこと、病院に駆けつけることもなく無事に帰宅できたことのお礼が、心から言えるようになりました。
(案内役)いかがでしたか。息子さんの凄絶な事故、母親としてはどんなにつらかったでしょうね。その思いがひしひしと伝わってきました。それでも、命が助かったことが分かると、すぐに神様にお礼申し上げたと言われます。切断した腕とお別れする時も、長年お世話になってきたことが心からありがたく思えたという。そして息子さんご本人も、失ったものを嘆かず、残ったものを最大限に生かそうとしておられます。平野さんのご家族がそんな明るい心でいられるのも、私たちの体は神様から頂いたものだという揺るぎない信念が備わっていたからではないでしょうか。
考えてみれば、私たちの体は、どこもかしこも、無くては困るものばかりです。普段、何とも思わずに使わせてもらっているこの体。左手で右腕をさすり、右手で左腕をさすり、頭も顔もお腹も足もなでさすりして、毎日お世話になっていることにお礼を言いたい気持ちになりました。