●ピックアップ(テーマ:生と死)
「愛と安らぎに満ちて」
兵庫県
金光教城南教会
竹部眞理子 先生
最近、新聞、テレビでホスピスという言葉が、よく取り上げられるようになりました。
ホスピスとは、治る見込みのない末期癌の患者を主に、最後までその人の生を支えるために、専門的なケアをする施設やプログラムを意味しています。
そのホスピス病棟が、姫路にも昨年の5月に開設され、時を得たようにして、Sさんという女性が、6月18日、入院することになりました。
Sさんのお母さんは、熱心に金光教の信心をされ、信仰を支えにして、5人の子どもたちを育ててきました。Sさんも小さい時はお母さんと一緒に教会へ参拝していましたが、成人し親元を離れると、次第に教会への参拝も遠のき、1年に数回、お参りするだけでした。健康と仕事に恵まれたSさんは、趣味のピアノや書道にも打ち込み、学ぶこと、仕事をすることが楽しい毎日です。
しかし、2年前から、少しずつ身体がいつものように動かないことを感じ始めたのです。日曜日には、仕事に必要な英会話の勉強を一日中続けていたのに、1時間もすると気力がなくなってきます。足の痛みもどこか異常な感じがしたために、思い切って病院に行くことを決心しました。
その年の12月、検査の結果、「肺癌で、すでに骨に転移している」という医師の言葉でした。さらに、余命わずかと宣告され、絶望の淵に立たされたSさんでしたが、望みを失わず、癌に良いといわれる民間療法と食事で、進行を抑えていこうと決心し、実行しました。
どうしてこんなことになったのか、あと数カ月の命をどう生きていけばよいのか、問題を抱えながらSさんは神様に祈り続けました。45歳という、まだ肉体的に若いほうのSさんの癌は、本人が思ったよりも早く進行していきました。痛みは日毎に激しくなり、ついに入院をしなければならない状態になってきたのです。
金光教の信心を通じて知り合った私は、Sさんが自宅で療養をしていた昨年の6月、初めてお見舞いに行きました。モルヒネで痛みをコントロールしている状態でしたが、時折激痛が走るようで、苦しい表情から痛みの強さが伝わります。励ます言葉もなく、何もできない無力感を感じながらも、少しでもSさんの心が安心を得、痛みが和らぐようにと祈らずにはおれない気持ちでした。2回目の訪問の時、「一緒にお祈りをしませんか」と言ってみました。何かホッとした様子で、「お願いします」と答えてくだ」さり、2人で手を合わせて、一緒にお祈りしました。
私が子どもの頃、頭が痛くなったり、おなかが痛んで休んでいると、母や祖母が側に座って、神様に祈りながら、看病してくれました。その時の安らぎと安心感は、今もなお懐かしく、私の心を温かく包んでくれるものがあります。
あの時のように、ほんの少しの時間でも、Sさんに安らぎの心が生まれてくるようにと祈りながら、一緒にお祈りをさせていただきました。しかし、もはや自宅で痛みのコントロールを続けることは難しく、開設まもないホスピスへ移ることになりました。
死は、恐ろしいもの、忌み嫌うものとして、生活から遠く離れたものになっていましたが、現在は死について考える、という機会が増えてきています。金光教では、「人間は神様の働きの中で生まれ、生活し、死んでいくのである」と教え、「生きている間も死んだ後も、天と地とはわが住み家である。生きても死んでも天地のお世話になることを悟れ」と説いています。つまり、人間はどこまでも天地の神様の働きを離れては存在しないのであるから、死を恐れず、受け入れていくことが大切だと考えています。
一般的には、年を取ることと平行して、身近な人たちの死に出会うことが多くなってきます。大切な人との別れはつらく、そこで、ようやく自ら死を意識し始め、命について考えるようになってきます。生活に追われて忙しく過ぎていく毎日から、今日一日、与えられた命をどう生きるか、生きていけばよいかということを、「死」によって考えさせられるのではないでしょうか。
Sさんも、突然の死に直面する中、母親の祈りを思い起こし、3カ月間の入院生活での毎日を、生かされて生きていることの御礼と、身近な人たちの幸せと助かりを祈っていかれるようになりました。お見舞いに行って、Sさんが声を出す気力がない時は、私一人で祈りの言葉を唱えます。
その時、Sさんは手を合わせ、一緒に祈ってくださいました。
いつも自分に厳しく生きてきたSさんは、家族から見て、もっとゆったりと生活をすればよいのにと思う一面があります。それが次第に温和な人柄に変わっていき、とても穏やかな表情を見せるようになったのです。
ある病院の先生の著書の中に、「人は本当に、生きてきたように死んでいく。しっかりと生きてきた方は、しっかりと亡くなっていき、人々に感謝して生きてきた人は、私たちに感謝して亡くなられ、人々に依存して生きてきた方は、私たち医者や看護婦に依存して死んでいく。今までの生き方が、その人の死に方に見事に反映される」と書かれていました。
「もう、すべての手は尽くされました」と医師に宣告されてから一週間、Sさんは家族が祈りを込めて作った重湯が頂け、親しい人たちと言葉を交し、笑うこともできたのです。
信心を求め、心の安らぎを得て、しっかりと生きたSさんの最期は、本当に愛と安らぎに満ちていました。
短い間の触れ合いでしたが、改めて、自分の生き方を考え、死について、思いを深めさせられた出来事でした。
(平成9年1月29日放送)