●信心ライブ
「3月14日」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。今日は、岐阜県南大垣教会の今西寿彦さんが、令和4年7月に、愛知県で行われた金光教の集会でお話しされたものをお聞きいただきます。
お話の中で「お広前」という言葉が出てきますが、「お広前」とは教会で神様を拝む場所のことです。
(今西)私どものお広前にお引き寄せを頂いている、50代半ばのAさんという女性の方がおります。そのAさん、3年前の3月14日、息子さんの県立高校の合格発表の日を迎えました。この3月14日とういうのはAさん夫婦の結婚記念日でもありました。
受験後、息子さんは手応えがあったように言ってましたので、結婚記念日と高校の合格と、ダブルの喜びの日となると信じておったんですけれども、待てど暮らせど私のもとに連絡が入ってきません。こりゃもしかして、とよぎりましてですね、改めてご神前でご祈念をしておりますと、お昼過ぎにようやく、暗い表情をしたAさんが一人でお広前に入ってきました。その様子を見ればもう結果は聞かずとも分かります。
「先生ダメでした。ここまでご祈念してくださいまして、本当にありがとうございました。これが結果ですから、私立の高校入学の手続きをさせてもらいたいと思います」と、涙ながらにお届けをなさるわけであります。
教会にお参りしている同年代の子供たちも最近ほとんど皆合格していって、そういう中でその彼だけが今回不合格ということになりましたから、Aさんは教会に来る時も、皆と顔を合わせるような時間を避けてお参りに来られたりとか、近所の人ともですね、何とか会わないように会わないように生活をするというふうになっていきました。いつしかAさんから笑顔がなくなっていったんですね。
悪いことっていうのは重なるもんでありまして、5月に入りまして、昔から仲良くしておりました友人が重い病気に罹ったということを知らされます。ほどなくして亡くなってしまいました。さらに8月、今度は自分のお兄さんが仕事中に倒れて、その日の夜遅くに亡くなりました。もともと持病を抱えておりましたけれども、まさか亡くなるということは思ってもいませんでした。「何でこんなことになるんだろうか」と、こう思うんですね。
そのお兄さんは誰からも信頼が厚くてですね、実家のお母さんの世話も一生懸命してくれる、そういうお兄さんでありましたから、そのお兄さんを亡くすというのは、Aさんにとって非常に大きな痛手であったわけであります。で、「こんなことになるんなら、兄じゃなくて私が死んだ方がましだった」、とこう思えてくるんですね。そんな思いをしながら、悶々として生活をしていくんです。
で、私は、神様がなさることに無駄ごとはないと、こう信じるんですけれども、立て続けにこういうことが起きてまいりますと、ちょっと言葉が出せないですね。とにかく、心を神様に向けていくということだけを、お話しさせていただいていました。
(ナレ)しかし、今西さんの話をいくら聞いても、Aさんは納得できませんでした。だんだんと教会へも足が遠のいていきました。
(今西)そして、私としては、Aさんが神様の御働きを感じてくれるように、心を神様に向けられるようご祈念を続けるしかないと思って、そんな日々を過ごしてました。
そうこうして約1年が経とうとした6月、Aさんはですね、何かスッキリした表情でお広前に入ってきました。
「実は昨日、亡くなった兄が夢に出てきまして、ソファーでにっこりと笑ってくれてました。こんな私がしていることでも、兄は喜んでくれてます。これまで思い通りにならないことが多くて、神様にも心が向きませんでしたが、心も体も大切にして、兄に代わって私、親孝行がしたいです。死んだほうが良かったと思いましたけれども、私、やっぱり生きたいです。これまでのお詫びと、ここからしっかりと信心を進めたいと思いますので、どうぞ先生、これからよろしくお願いします」という、そういうお届けをしてくれたんです。
Aさんは、自分が教会から足が遠のいている間、自分のお母さんが、Aさんに代わって一生懸命お参りしてたということを知ります。「ああ、ありがたいことやな、もったいないことやな」と感じるわけですね。そして身の回りに起こってくることが、一つひとつ全て本当にお繰り合わせいただいているということを感じてくるようになっていました。自分が心を神様に向けていくようになると、こういうことになるんだなあという事が、段々、納得できるようになったようなんです。それで以前のように元気にお広前に足を運べるようになってきました。
(ナレ)ある時、Aさんは、いつにも増してニコニコしながらお広前にやって来ました。
息子さんが指定校推薦で大学に進学することになったのです。息子さんは、将来、お父さんと同じ保健体育と特別支援の教員になりたいと思っていて、そのための資格が、その大学で取れるというのです。
(今西) 「はあ、本当良かったなあ」と言うてですね。3年前の3月14日、泣きながら、ここからつらい日が来るなと。先がどういう姿になっているのか誰も分からない。本当にどうなるんだろうかっていうことの中で始まった3月14日でしたけども、3年近く経って神様はですね、こういうステージを用意してくださっていたかというふうに思いますと、ほんとに2人で泣きながら、ご神前でお礼のご祈念をひとしきりさせていただいたのであります。
(ナレ)いかがでしたか。
息子さんの受験や、友人、お兄さんの死というつらい出来事が起こってきましたが、そこには神様の「どうか助かってほしい」という思いがあります。
私たちがその思いに気づき、心が助かることを、神様は手を差し伸べながら、ずっと待っておられます。
どんな時も良いようにしてくださると神様を信じ、放さず、今、生かされていることに感謝して、神様に心を向けていくことが大切です。そこから助かりが生まれ、Aさんのように人生の大きな支えが頂けるのだと思います。