思いのすれちがい


●こころの散歩道
「思いのすれちがい」

金光教放送センター


 私は生まれも育ちもずっと関東。一方、妻はというと、大阪生まれの大阪育ち。結婚してからは、私たちは、生活の拠点を大阪に置いています。
 何かと対比されることの多い関東と関西の文化ですが、結婚してすぐに、こんなことがありました。
 妻が夕食の準備をしていた時のことです。まな板の上には鶏肉。それを見て、「今日はお肉だね」と声を掛けると、妻は「違うで」と返してきました。私は「えっ!?」と思いました。見直してみても、まな板の上には鶏肉があります。
 もう一度尋ねてみても、妻の答えは同じ。「どうして通じないんだろう?」。私は困惑しました。関西の人ならば、このかみ合わない会話の原因が、もうお分かりかもしれませんね。それは、私の発した「肉」という単語です。妻は私にこう言いました。「お肉といえば、牛肉のことでしょ。今日は、鶏肉やからね」って。私の中では、「牛肉」も「豚肉」も「鶏肉」も、みんなまとめて「肉」だったのです。なので、妻の「お肉は牛肉」という言葉にびっくり。そして、鶏肉は「トリ」「トリニク」もしくは「かしわ」と言うそうで。その後しばらく、妻と「肉」にまつわる食談義になりました。
(私)「じゃあ、カレー用の肉は?」
(妻)「もちろん牛肉。カレー用の肉として、肉屋さんでもゴロッとした牛肉が売ってるよ。関東では違うん?」
(私)「基本、豚肉だよ。カレー用の肉としてお店で豚肉が売られているよ。だから、牛肉のカレーは、わざわざ『ビーフカレー』って言うからね。肉じゃがも、豚肉が入っていたな」
(妻)「えっ! そうなん。こっちでは肉じゃがは牛肉が定番だよ。じゃあ、すき焼きは? それも豚肉?」
(私)「それは、牛肉だった」
みたいに。
 調べてみると、国内の牛肉の消費量が多い地域の上位には、近畿勢が名を連ねていました。関東と関西の食肉事情の差にびっくり。でも、どっちもおいしく、どっちも良い。思い込みをリセットすると、世界が広がるものです。私にとっては、カレーや肉じゃがは豚肉が定番だったので、それが牛肉になって、とてもリッチな気持ちになりました。

 私と妻の大阪生活も、今年で12年になりました。
 ある日の夕方。妻が、夕食の下ごしらえをしたあとに、翌日の仕事の準備のために買物に出掛ける時のことです。妻は私に、「鍋を火に掛けてあるから、気をつけてくれる? 水分がなくなってきたら、水を足してね。お願いね」と頼んできました。台所では鍋がぐつぐつと音を立てて、具材が煮込まれていました。妻を送り出し、私は、「今晩は、シチューかな? カレーかな?」なんて思いながら、何度もお鍋の様子を確認しました。そして、子どもと一緒に食卓の上も片付けることにしました。帰宅した妻に、「おかえり。ちゃんと、見といたよ」と、声を掛けました。ミッションをクリアして、さらに片付けまでした! 褒めてもらえると思ったのです。しかし、鍋の様子を見た妻の顔は、「ありがとう」と言いつつも、どことなく残念そう。私は「えっ」という気持ちになりました。そして、なぜ不満そうなのか、妻に聞いてみました。「別に」と言う妻にしつこく「教えて」と言うと、妻は「カレーのルーを入れておいてくれればいいのにと思ったの」と言うのです。私は、つい、「えっ。聞いてないよ。シチューかカレーか分からないいし、間違ったらいけないと思って」と言いました。「シチューの素は、今、ないの。だから、カレーなの」と言う妻。ちぐはぐなやりとりで、その時は、微妙な雰囲気になりました。妻が「ごめん。言わなかった私が悪いの」と言って、その場は何とか収まりました。
 あとで聞いてみると、妻は「自分も無理なことを言っているな」と思っていたそうです。そして、私もこう思いました。「あの日妻は、子どもを習い事に連れて行き、夕食の下ごしらえをして忙しく過ごした夕方、買物にも出掛けてくれたのだから、疲れていたんだろうな。一生懸命してくれてありがとう、という感謝の気持ちと一緒に、言われた事だけじゃなく、妻がどうしてほしいのか、もう少し考えたらよかったな」と。

 「こうだろう」という思い込みは、誰にでもあることです。そこから、心ときめく驚きや感心が生まれることもあれば、一触即発のドキッとするような展開につながることもあります。ドキッとする時には、一度立ち止まって、お互い相手の気持ちを考えてみる事が大事なのでしょう。
 人と出会い、関わりながら私たちは生きています。相手を知るということは、自分自身の幅を広げる機会なのかもしれません。あなたの今日の出会いが、良い機会となりますように。

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