かんべむさしの金光教案内5 第2回


●第2回
「かんべむさしの金光教案内5」

金光教放送センター


 おはようございます。「かんべむさしの金光教案内」、2回目の今朝は、明治14年に大阪の難波なんばで布教を始められた近藤藤守こんどうふじもりという先生のお話をさせていただきます。
 ちなみに、私は長年の上方落語ファンで、昔の大阪の町や人の話も大好きなんです。それで金光教の教典や教祖さんの伝記で、この近藤先生のお話を読んだ時、その面でもき付けられた。それも紹介したいし、時間は限られてるしで、ちょっと困っております。
 というのが、幕末生まれの近藤先生、家が大坂城のそばで公儀御用の飛脚問屋を営む、代々の老舗しにせだったんだそうです。もうそれだけで私、「幕末動乱の時代には、幕府の密書なんかも運んだのかな」と、興味が広がったんですね。
 しかもその大きな飛脚問屋のあるじ、近藤先生のお父さんが身の修養、つまり人格の向上を心がけてる人で、摂州せっしゅう吹田すいた垂水たるみに住む及川おいかわかなえという、仙人みたいな人のもとに、教えを受けに通っておられたという。吹田市には現在も垂水町という住宅街がありますが、当時は竹藪たけやぶか何かが広がってたんでしょうね。そこに隠れ住む高潔の士で、名前が及川鼎。私、「うわあ。ええなあ!」と、声を上げたくなりました。
 で、ある時、まだ子供だった近藤先生も一緒に行きましたら、及川仙人から、「おまえはこの先、17歳のときと25歳の時に大病をする。あとの病気は助からない」と、そんな意味のことを言われたそうです。
 一方大阪では、教祖さんの教えを受けた白神しらかみ新一郎しんいちろうという徳の高い先生が、岡山から出てきて、明治12年には伏見ふしみまちに布教所を開いておられました。伏見町は船場せんばの一角で、上方落語でもおなじみの町ですから、私、本当におもしろくて仕方がない気持ちになりましたね。
 で、近藤先生は及川仙人に言われてたとおり、25歳の時、本当に大病をして、頭の具合の悪さが続いてましたので、人に勧められて、その布教所に参りました。そして、「天地の恩」を説く白神先生の教えに接して、「あの人はたとえ山師やましにせよ、教えは結構である」と、非常な感銘を受けられたんです。
 そこである晩、すでに自宅にもまつってた神様の前に座り、覚悟を決めて思いました。
 「自分はこれまで、神様のことや、天地の恩ということは知らなかった。国の法律に触れることはしてきてないが、先祖からの金を湯水のように使ったりして、神様の法律は数々犯してきたに違いない。頭の大病にかかるのも、いわば当然の報いだ。今日は神様に一切の懺悔ざんげをして、そのお裁きを受けよう」
 そして懺悔を続けるうちに、いつの間にか眠ってしまってて、次に気が付くと夜が明けておりまして、長らく重くどんよりとしてた頭が、すっきりとさえ渡ってた。さあ。一晩で助けてもらえた近藤先生、それからはぐんぐんと信心の道を進まれたんですね。
 ところでその大病は、今の言葉で言えば副鼻腔炎、つまり蓄膿ちくのうの重い症状だったらしいですね。ですから、鼻からうみなんかも出てたんでしょう。当時、町の医者に診てもらったら、「脳みそが腐る難病だ」と言われたそうで、まあ、昔の医者は無茶を言いますね。
 さて。そんなわけで信心を進めた近藤先生、備中びっちゅう大谷おおたにへ初めて参った時には、教祖さんから懇切丁寧に、長い時間をかけて、信心の心得などを聞かせてもらえました。後日、近藤先生からその報告を受けた白神新一郎先生が、「私らでも、なかなかそう長い時間はお話ししていただけないのだが、あなたはよほど機が熟していると見える」と喜ばれたという、そんな話も残っております。
 そして明治14年、近藤先生は大阪の難波で布教を始められたんですが、何とその時代の難波は、まだ村だったんだそうです。現在、金光教難波教会の大きな建物は、南海なんかい電車難波駅のすぐ近くにありますが、あの繁華街一帯が村で、大阪市に編入されたのは明治30年だというんですから、驚きました。
で、それからの年月、近藤先生は修行と人助けを進めて、徳の高い先生になられました。それまで神道の管轄下にあった金光教は、明治33年に独立するんですけど、その準備や交渉事にも尽くされて、のちには金光教の重鎮とされる先生の一人になられました。
 そしてそれとともに、お弟子さんを大勢育てられ、そのお弟子さんたちは、まずは関西一円にやしろ、つまり系列教会を開いていかれました。難波教会の出社が京都に出来て、そのまた出社が、北海道の函館に出来たなんて例もありまして、当時の金光教の、教えの広がり具合がよく分かるお話です。
 私、仕事柄もあって、「偉い先生がおられました」だけでは、心に収まらない。こんな生まれ育ちで、こういう体験をした結果、そうなられたんですよと、その人物像がリアルに分かったら、それがうれしい納得につながるんです。近藤藤守先生は、その代表例の一人でしたので、当時の大阪の街の様子にも触れながら、紹介をさせていただきました。
 はい。それでは来週は、教祖さんのところに参ってた信者さんのお話をさせていただきます。ありがとうございました。

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