●もう一度聞きたいあの話
「ともに立ち行く」
兵庫県
金光教社教会
小林健 先生
私たちは、とかく独り善がりに物事を考えてしまうことが多く、みんなが共にそろって良くなる道があるにもかかわらず、自分で勝手に決め込んでは、腹を立てたり、愚痴を言ってしまうことがよくあります。
3年前の年の暮れのこと。Kさんという60歳前のご婦人が教会へ参ってこられて、このように言われました。
「私は、『そんなことはほっとけばいいじゃありませんか』と言うのですが、主人が、『腹が立って腹が立ってしょうがない。何度も頼みに行くのだが、とんとこっちの言うことを聞いてくれない。こんなにこっちが困っているというのに、強情な人だ』と言って、そりゃカンカンになって、挙げ句の果てには、『もう神も仏もあるもんか』と言うのです」
そのKさんの主人という人は、ある会の会長もなさっておられ、町内のまとめ役もこなされるしっかりしたお方なのです。
私は、「一体どうなさったのですか」とお聞きしますと、「実は、うちの田んぼの脇道に大きなポプラの木が5本あります。そのポプラの木が、稲の育ち盛りの時、ちょうど一番茂りまして、日光をさえぎってしまうのです。その上、冬には、たくさんの落ち葉でうちの田んぼが一杯になって、その清掃がえらいことなのです。それで、毎年、今頃になると、主人は先方に、『あのポプラの木を切ってくれ』と言って頼みに行くのですが、そのたびにきつく追い返されるので、いつもあのように腹を立てては、私に当たるのです」と言われる。
さらによく伺ってみると、その問題のポプラの木は、もともと先方が、以前、牛をつないでおくために植えたものですが、今では農業も機械化されましたから、用はありません。しかし、先方としては、別に邪魔になるわけではないし、また、切るということになれば、手間も費用もかかるわけですから、自分のほうで切るつもりは毛頭ありません。
私は、「それはさぞかしご主人にはお気の毒なことでしょうね。日が当たらなければ良い米はできませんし、落ち葉の片付けも大変でしょう。それにしても、ポプラの木も迷惑な話ですね」と申しました。
それは、人間同士にも言い分はありましょうが、ポプラの木にも言い分はあるでしょう。人様のお役に立つために植えられた自分が、今、他の人の邪魔になるからといって切り倒されようとしている。夏には日陰を作って休息の場を提供できるほどに立派になったわが身が、この世から突然、抹殺されようとしている。たまったものではない。ポプラの木自身には、何の非もありません。人間さまの都合で自分の運命が決められようとしているのです。
そこで私は、「切る、切らん、という問題もありますけれども、ポプラの木の命も大切にしてやらねばなりませんね」と申しました。そして、その時ふと、次のような話を思い出しました。
それは、金光教の教祖・金光大神の元に、ある人がお参りになりまして、「金光さま、腹が立って腹が立ってなりません。隣の田んぼの持ち主が、あぜの境をこっちへ勝手に広げてきて、もう悔しくて」と言われた時に、金光大神は、「そうまでして人の物が欲しい者にはやっておけい。負けて勝つということがあろう。6年辛抱せよ。神が境をいらぬようにしてやる」とおっしゃいました。その方は、一体どうなるでのであろうと、続けて信心しておりますと、さても6年経ちますと、先方が自分の田んぼを買ってくれと言ってこられたのでした。その方は、神様の手際よさに感服されたのでした。
私はこの話をとっさに思い出し、Kさんにそのことをお話しして、「心配いりません。神様がきっと良いようにしてくださいます。あなたの主人だけが良くなっても、先方がそれで腹を立て、逆恨みを買うようなことになっても困ります。みんながそろって良くなり、立ち行くように神様にお願いしましょう。そして、先方を悪く思わず、先を楽しみにして、そのポプラの木をしっかり拝ませていただきましょう」と申しました。Kさんは、「分かりました。帰りましたら、主人にもそのように伝えます。よろしくお願いします」と言って、帰られました。
金光大神は、「四季の変わりは人の力に及ばぬことぞ、物事時節に任せよ」とみ教えくださっておられますが、それから2年後の春先、Kさんがはずんだ顔をして参ってこられ、「先生、神様はありがたいですね。あのポプラの木を切ることになりました」と言われるのです。しかも、全部切り倒してしまうのではなく、下から5メートル残して切ることになったということなのです。「実は先生、電力会社の方が先方にお見えになりまして、『お宅のポプラの木が大きくなりすぎて、今にも電線にかかりそうになっている。このままでは障害になるので、切らせてもらいたい。手間も費用も会社で負担するから』と言ってこられたのだそうです。それはもう、主人は大喜びで、神も仏もあったものじゃないと言っておった人が、手のひらを返したように、『神様はえらいもんじゃ』と言っております」と話されたのでした。私も共に喜ばせていただき、神様にお礼申し上げました。Kさんのお宅も、先方も、共に立ち行くことになり、ポプラの木も切り倒されずにすんで、本当にありがたいことでした。
金光教祖は、人も自然も生き物も、みんなが良くなっていくことを、「共に立ち行く」「あいよかけよで立ち行く」とおっしゃっておられます。神様のお恵み、お働きを頂いて、全てのものが、「共に立ち行く」世界の顕現を、神様はいつも願われているのです。
(平成2年1月31日放送)