土(どろ)の心


●信者さんのおはなし
どろの心」

金光教放送センター


(ナレ)福岡県金光教箱崎はこざき教会にお参りする次賀慎一朗つぎがしんいちろうさんは現在51才。代々金光教を信仰しており、小さい頃から当たり前のように、教会へ参拝していたのですが、年を重ねていくにつれ、教会に行くのが面倒になったと言います。
 やがて、役者の道を志し、実家を離れて上京。金光教からも離れていきました。
 役者の道では、しっかり稽古に取り組むことの大切さを学びました。しかし、そんな充実感とは裏腹に、日々のお金のやりくりや、人間関係には苦労したと言います。
 そんな時はいつも教会の夢を見ました。そして、小さい頃教会で習った「どろの心」という教えを思い出すのです。

(次賀)「どろの心」というのを習っていて。昔で言う、田んぼの泥なんでしょうけど。肥やしとして、人の排泄物や何かを捨てられたり、色んなことを受けるけれども、それを黙って受けて自分の肥やしにして、そこから、新しい生命が育まれて生まれてくるっていう。このことを習っていたので、何かやっぱり、俳優の時にですね。自分にとって不都合なことだったりとか嫌な人だったりとかが現れた時に、そういう時にふとそういうことが思い返されるんですね。

(ナレ)金光教と距離を置いたつもりが、金光教が自分を支えてくれている大切なものだと気付いたそうです。自分にとって都合の良いことも悪いことも受け止めて、肥やしにしていく「どろの心」は、次賀さん自身を育みました。
 そして、二十年が経ち、役者をやめ、家業を継ぐ決意をしました。実家に帰り、親が毎日欠かさず教会にお参りしている姿を見た次賀さんは、この親に失礼な生き方をしたくないと、毎日、教会へお参りするようになりました。
 その後、役者時代に知り合った女性と結婚。幸せな日々を送っていましたが、もう一つ、かなえたい夢がありました。それは子どもを授かること。しかし、4年経っても、その夢はかないませんでした。
 「子どもを授かりますように」と夫婦で必死に神様に願い続ける稽古に取り組んだのですが、授かりません。知人から赤ちゃん誕生の知らせが入るたびに悔しく、素直に祝えない自分の心に苦しみました。
 それでも、願うということはやめませんでした。
 教会で神様に、ありのままの正直な気持ちを吐き出すことで、折れそうな心が不思議と修正され、また頑張ろうという心になれました。

(次賀)願っていれば安心かってそうではないんですけれど。決してそうじゃないんですけど、願うこと。なんか、本当にどうすることもできないんだけれど、願うっていう手段があるっていうことが、本当に救いだったという感じですね。

(ナレ)親に習って始めた教会参拝も、いつしか自分の心のよりどころになっていきました。
 そして、転機が訪れます。

(次賀)まあ、実は去年まで、具体的に不妊治療に踏み切ったことがなかったんですね。ずっとタイミング療法で。去年、不妊治療に保険が適用されるということになった。で、ただし、それは上限42歳まで。その時点で妻は42歳。それで、妻の目の色が変わったというか。もうここしかないと思ったんでしょうね。「やるわよ」、って。

(ナレ)本格的に治療を始めることにしましたが、どの病院に行けば良いか分からず、改めて神様に願いました。するとある日、知人から、北九州市折尾の名物、かしわめし弁当をもらいました。さらにその二日後、教会にお参りすると、先生から、「不妊治療には折尾の病院が良いわよ」と教えられたのです。
 次賀さんの奥さんにとっては初めて聞く「折尾」という地名。それを3日間で2度も聞いて、これは「折尾に行け」という神様のメッセージではないかと感じ、その病院を受診することにしたのです。
 たまたまと言えばたまたまかもしれません。しかし、次賀さん夫婦は起きてくる出来事の中に神様のメッセージがあるはずだと、このような些細な事の中にも、それを受け取る稽古をしていたと話します。
 そこから不妊治療が始まりました。奥さんはホルモンバランスの乱れで、精神的に不安定になることもありました。次賀さんは夫として何もしてやれないもどかしさを祈りに変え、夫婦で支え合い、前向きに取り組みました。そして…。

(次賀)で、一回はだめだったんですね。8月に行って、9月はだめで、10月はちょっとひと月お休みして、で、11月に着床でした。
 エコー写真でしか見てないんですけど、まあエコーの中で、こんな小さなただの塊でしたけど。これが見えた時はもう崩れ落ちました。

(ナレ)そして、令和5年6月めでたく女の子を出産しました。
 次賀さんはこう振り返ります。

(次賀)子どもが出来ることに関しては、お願いをして、自然妊娠というか、「タイミング療法で」が願いとしては理想でしたけど、結果それは、体外受精という手段にはなりましたけど、その間に、そこに至るまでの願って願って願って、ってその稽古ができたこと。これがその、お願いをして一発で「はい出来ました」っていうところでは決して得られなかった収穫だと思っています。

(ナレ)思い返せば、祈れる場所を教えてくれた両親はじめご先祖様、稽古の厳しさや楽しさを教えてくれた役者の仕事、何事も受け止めて生かしていくどろの心を教えてくれた金光教。つらく苦しかったことも今日の幸せのために全てが必要でした。
 思い通りにいかない時は、塞ぎ込んでしまいがちですが、神様にすがりながら「どろの心」になって、神様のメッセージを受けとっていく…。
 「この経験で得たものはこれからに繋がる」
 そこには過去も未来も生かしていく、確かな次賀さんの今日がありました。

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