限りなきご恩


●金光教教主・年頭放送
「限りなきご恩」

金光教教主
金光浩道こんこうひろみち


 新年おめでとうございます。ここに令和6年(2024年)の新春を迎え、皆さまもそれぞれ心新たに、今年一年の健康や幸福を祈られたことでしょう。
 私ごとで恐縮ではございますが、かつて金光教教主を勤めていた私の祖父は、歌人でありました窪田空穂くぼたうつぼ先生に師事して、和歌を作ることに大きな喜びを感じており、その生涯に、4万首を超える歌を詠んでおります。これらの歌は、19集に及ぶ歌集に収められておりますが、歌を詠み続けた祖父が、昭和41年に私が誕生しました時、次のような歌を詠んで祝ってくれました。

 ちちははも子どもと共に生まれたり育たねばならぬ子もちちははも
 ちちははも子どもと共に生まれたり育たねばならぬ子もちちははも

 この歌を詠んだ時の思いを祖父は次のように書いております。
 「私は自分の家に内孫ができた時、孫ができたということは、その孫と一緒に、孫の父母や祖父母ができたことで、よりめでたいのだと思った。その時の感慨を、『ちちははも子どもと共に生まれたり育たねばならぬ子もちちははも』と詠んだが、このような気持ちを今の親たちに持ってもらいたい。今の親は、子どもに良い子になってほしいとか、一生懸命勉強してくれとか、ただ親の希望だけを子どもにかける。このような親のエゴだけでは子どもは良くならない。子どもが生まれて子どもの父母ができ、子どもが一歳になった時、その父母も親として一歳になる。つまり、子と共に自分も努力し、成長していく気持ちを忘れてはならない。子どもが成長するに連れ、子どもが一つ年を取れば、自分も親として同じように一つ年を取り、一つ年を取った子を何とか理解しよう、その子にふさわしい親になろうと、子どもと努力することが何より必要だ。そういう親の姿がいつか子どもの心をとらえ、子どもはその親の姿をまねて成長していくからだ」
 祖父はこのように書いております。
 生まれてきた私と、私の両親に向けて、親も子も共に学び合い、育ち合っていくようにと、祖父は願ってくれたのであります。
 現在、私には3人の子どもがありますが、子どもが生まれてくれたおかげで、私ども夫婦は親にならせていただいたわけであります。長男が生まれた時、私ども夫婦は、父親、母親となって、親子関係が生まれ、子どもと親とは、いわば親子学校に同時に入学したわけです。「子を持って知る親の恩」などと言われますが、まさにそのことを痛感する毎日であります。祖父の思い、そして両親のご恩に、少しでも報いることができますよう、親も子も共に学び合い、育ち合っていきたいと願っております。
 さて、子どもの成長に連れて、幼稚園のPTAのお役を頂いたことがありました。いろいろな活動に触れさせていただき、ふと気づかせてもらったことがあります。私が幼稚園、小学校、中学校の時も、PTA活動をしてくださった方々のお世話になってきたんだなということです。そしてこのお役は、ご恩返しのお役なんだということです。自分から見れば過去に周りの方々にしていただいた事ですが、遠い昔の事だとつい忘れがちになります。もちろんお世話になってきたのはそれだけではありません。さまざまな方面で、さまざまな人や物の世話になり通してここまで来ているということ、そして、それらを忘れてしまっていることが多いのに気づく機会を頂きました。過去のご恩に目覚めさせていただいた貴重な経験でした。
 例えば、子育てにしても、PTA活動にしても、自分は過去にしていただいてきたのに、自分はしない、したくないということでは、社会は回っていかないと思います。お世話になったご恩を忘れていないかということです。ご恩を知り、ご恩に報いるということが、非常に大切なところだと思わせていただきます。もちろんこれから先も、たくさん気づかせていただく機会があると思います。できるだけたくさんのおかげ、ご恩に目覚めさせていただき、そしてそれらを忘れず、ご恩返しのお役に立たせていただきたいと願っております。
 2024年、新しい年を迎えさせていただきましたが、今現在、とても平和とは言えない世の中になってしまっています。自分が家庭を持った今、「世界の平和も、家庭の平和から」と、神様から言われている気がするのです。天地の中で生かされ生きている者として、「共に生きる」「共に助かる」という考え方を大切に、特に、戦争、飢餓や、貧困、病気などに苦しむ人々に思いをはせ、国の内外の人と人とが、お互いに神の子として、国籍、人種、言語、宗教などの違いを越えて、共に生き、共に助かって、世界に真の平和と繁栄がもたらされることを、心新たに願わずにはいられません。

タイトルとURLをコピーしました