透明な時間


●私からのメッセージ
「透明な時間」

大阪府
金光教枚方ひらかた教会
四斗晴彦しとはるひこ 先生


 令和5年の夏、私の恩師とも言える金光教の先生が亡くなりました。享年67歳。エネルギー満タンで、いつも動き回っていた男の先生でしたが、その年の春に突然倒れ、意識が戻らないまま旅立たれました。
 私はその先生とは、金光教の事務所で延べ7年間、ともに働きました。発想力、企画力、行動力にあふれた方でした。いつも新しい世界を見せてくださり、前へ進むために、背中を押してくれました。
 職場では、二人ともお酒が好きだったので、仕事が終わると、よく飲みながら遅くまで語り合いました。二人ともが酔っ払って記憶をなくし、明くる日になってみると、昨日は何を話していたのか全く覚えていないことも度々ありました。
 二人ともが何も覚えていないのですから、全く無駄な時間であったとも言えます。しかし、今、真っ先に頭に浮かぶ先生との思い出は、ともに語った時間がそこにあり、その時間を分かち合ったということです。振り返ると、たまらなく愛しい時間です。
 私には、もう一人、同じ年に亡くなった身近な友人がいます。私の高校の同級生です。数少ない異性の友人でした。卒業後も、親しい仲間と会えば、私たちのくだらない話をよく聞きながら、いつも笑ってくれました。彼女自身、仕事に、恋愛に、すごく苦しんでいる時にも、それは変わりませんでした。
 やがて彼女は結婚し、二人の子どもにも恵まれました。地元から遠く離れたところで暮らしていたので、直接に会う機会はありませんでした。しかし、彼女とはよく電話で話しました。それは、私が共通の友人とお酒を飲んでいる時で、酔っ払ってくると、いつもどちらからともなく、彼女に電話しようということになるのです。彼女は、子育てで忙しいさなかでも、いつでも酔っぱらいの戯れ言を聞き続けてくれました。私たちは、そんな彼女の優しさに甘えて、酔っ払っては電話して、たくさんのことを聞いてもらいました。20年くらい、そんな関係が続いていきました。
 何カ月か前、同じように彼女に電話した時、彼女は出ませんでした。折り返しの電話もかかってきませんでした。年が明けて、いつも届く彼女からの年賀状が届きませんでした。しばらくして、彼女が亡くなった旨の連絡が届きました。病と闘いながらの最期であったことを知りました。五十四年の人生でした。
 その事実を知り、しばらくボーっとしながら、彼女のことを思い浮かべます。最後に直接会ったのは、彼女が結婚した時。結婚式での幸せいっぱいの笑顔、未来への希望に満ちあふれた姿がよみがえります。私は彼女に謝りました。「あなたの病気のこと、全然知らなかった。ごめん」と。
 私は、神様の前に額づき、彼女が亡くなったことを伝え、御霊みたま様としての立ち行きをお祈りしました。すると、しばらくして、ある思いが沸いてきました。
 彼女は人の話を聞くのが大好きだったんではないか。笑みを絶やさず、いつもうんうんと頷いてくれている姿は、まぎれもない彼女そのものではなかったか。本当の彼女がそこにいたのではないか。酔っ払いの電話も喜んで聞いてくれていたのではないか…。
 それは私の傲慢な思い込み、そうであって欲しいという願望です。しかし、彼女の姿、声を思い起こすと、そうとしか思えなくなってきたのです。彼女は、人の話を聞くという時間を慈しみ、愛しく思ってくれていたのではないか。われわれが彼女と話す時間を愛しく感じていたのと同じように…。
 祈る時間が流れる中で、私の心はゆっくりと静まっていきました。
 祈ること。生産性や合理性の視点からは、全く無駄な行為であるでしょう。祈ってる暇があったら、何か実践すれば、と思う人もいるかもしれません。
 しかし、われわれがこの世に生まれ、様々な人との間に培われる、ご縁、えにしは決して合理性によって生まれるものではありません。人智を超えたはたらきの中で、誰かと出会い、別れ、今の自分がいます。いつ誰と出会うかなんて、自分ではコントロールできません。だから、巡り会いの奇跡を大いなるものに祈ります。
 昨今は、「タイパ」という聞き慣れない言葉を耳にするようになりました。タイムパフォーマンスを略してタイパ。かけた時間に対してどれくらいの効果や満足が得られたかを示す言葉です。タイパが良いとか悪いとか。
 しかし、ご縁のあった人と触れ合う時間。何をすることもなく過ぎ去っていった時間。その時間を慈しみ、その時間を共有できたことに人生の豊かさを感じるのが人間という生き物なのだと感じるのです。
 幼少の頃を思い出しても、日が暮れるまで友達と外で遊んでいました。そこで何かを生み出そうとか思わず、成果を求めることもなく、目的もなく遊んでいました。ただ楽しい、それだけでした。いつしか、大人になるにつれ、生産性や合理性、効率、成果などという言葉がまとわりついてきます。
 でも、そこから離れたところに流れる、人と人との間の、尊い、豊かな時間を、神様からの贈りものとして大切にしていこう。それが、二人を通して私が受け取ったメッセージであり、皆さんに伝えたい私からのメッセージです。

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