●先生のおはなし
「イヤイヤ星人」
大阪府
金光教松島教会
和田晴子 先生
(ナレ)おはようございます。案内役の岩﨑弥生です。
今日のお話は、子育て真っ最中、大阪府にある金光教松島教会、和田晴子さんのお話で、「イヤイヤ星人」。
私は、9歳の息子と5歳の娘の母です。娘が生まれ、産婦人科から自宅に戻ってくる時、夫がこう言ってくれました。
「2人目の子どもをお母さんが抱っこして帰ってくると、『お母さんを取られた』とショックを受けると聞いたことがあるから、これから私は息子ファーストで行くね」
以来、息子の子育てに関しては、夫が率先してやってくれています。
世間では1歳後半から3歳頃までは、いわゆる「イヤイヤ期」を迎えると言われていますが、息子はイヤイヤ期がありませんでした。息子が3歳の時、夫のお父さんが亡くなるなど、いろいろと大変なことが重なりましたが、今思うと、イヤイヤ期がなく、私たち夫婦は助かりました。
一方娘は、最近まで「イヤイヤ星人」で、良い返事が返ってくることは絶対にありませんでした。「でも~」、「だけど~」、「違う」、「そうじゃない」。人の言うことすることをいちいち否定してきます。今日履いていく靴下さえ、準備している物は否定されていました。成長の一環だろうとは思っていても、毎日毎日全否定され続けるのは、さすがに気分が滅入るものです…。
そんな娘の相手をしながら、ふと思い出したのは、実家の父の言葉でした。私が学生の時、ある人に対して愚痴をこぼしました。今思えば、わざわざ人に言うほどでもないような愚痴だったと思います。すると、黙って話を聞いていた父が一言だけ、「お前なあ、わざわざ悪いことを人に言うて聞かすな」と言われました。なるほど。私が愚痴を話して聞かすことで、聞いている人まで嫌な気持ちになってしまう。しかも、誰かの悪口を言うことで、その人の価値も自分の価値も下げてしまっているのかもしれない。話して何か解決するのであれば、話す価値があるけれども、嫌な気持ちにさせるだけで何も解決しないのであれば、わざわざ悪いことを言うて聞かす必要はないなと、スッと納得がいきました。
それからは、自分の中で解消できることは、わざわざ人に言わないように心がけました。しばらくはモヤモヤ考えてしまいますが、相手の立場に立ってみたり、もしかしたらの状況を想像してみたり、思い替えをしていると、そのうち、「これは私にとって必要な出来事だったんだ。起こってくる出来事に、何一つ無駄事はないんだ」というところにたどり着きます。そのようなことを繰り返しているうちに、今では、「今朝すごく腹が立ったけど、何だったっけ?」と、「忘れんぼうの天才」になりました。あの日の父の一言で、毎日が幸せで、楽に生きることができるようになりました。
父の言葉を思い出し、それからは毎晩、布団に入り、寝る前に、娘と神様に、目一杯ポジティブなお祈りを捧げることにしました。「神様、ご先祖様、今日も一日ありがとうございました。今日は○○が楽しかったです。○○がうれしかったです。今日もぐっすり眠れますように。明日も元気にお目めが覚めて、楽しいことがいっぱいありますように! おやすみなさい!」。こうした毎日を繰り返していくうちに、娘は「イヤイヤ星人」から「お返事名人」に変わっていきました。「○○してね」というと、「はいっ!」と歯切れのよい返事が返ってきます。とても気持ちが良いです。
金光教のある先生が次のようにおっしゃっています。
「人間関係の難しさは誰しも体験するけれども、子どものような心を少しでも持てたら、難しさは半減するのではないだろうか。疑ったり、ねたんだり、恩に着せたり、ええカッコしてみたり、自慢したり、バカにしたり…。数えあげたらいくらでも出てくるよこしまな心。子どもはいくら親に叱られても、お父さんお母さんが一番好きな時。よこしまな心はない時であります」
夜寝る時、夫と息子は同じTシャツを着て寝ています。その背中に書かれているのは、金光様のお歌、「ちちははも 子供とともに生まれたり 育たねばならぬ 子もちちははも」。私たち夫婦は、親としてまだ9歳と5歳ですが、子ども達はこの未熟な親を一番愛してくれています。だからこそ、「親として子どもと共に成長させてください」との祈りを込めながらの毎日です。
(ナレ)いかがでしたか。
忙しい時、子どもが言うことを聞いてくれない。イライラしますよね。でも晴子さんは、思い返ししながら子どもと向き合っている、よくできたお母さんだと感心しました。
私の子育てを振り返れば、感情むき出しで、強引に子ども達に言うことを聞かせようとする未熟な母親でした。それでも成人した子ども達は、優しい子に育ってくれました。夫は、私の話をよく聞いてくれ、私の足りないところをおじいちゃん、おばあちゃんが補ってくれ、温かく子ども達を受け止めてくれたことは、大きな支えでした。そして、皆が同じ願いを持って、祈りながら子ども達を育ててくれたように思います。
「こうしなければいい親じゃない」と、自分でハードルを上げずに、子どもと共に育っていけば良いんですよね。どうしてもつらい時は神様に吐き出せばいい。ぜんぶ受け止めてくれますよ。