●私からのメッセージ
「アメリカのおにぎり」
大阪府
金光教平野教会
宮下寿美 先生
二十代の後半の頃、私は、単身アメリカに留学しました。金光教には、キリスト教の一つの宗派の要望を受けて、牧師を養成する神学校に留学生を派遣する制度がありました。世界を見てみたいと思っていた私は、10年ぶりに募集があることを知り飛びついたのです。
そうして、幸運にも留学生に選ばれた私は、1999年6月末に渡米しました。シカゴの中心地から南に11キロ。五大湖の一つ、ミシガン湖畔のハイドパークという地区に、その神学校はありました。学校周辺は、シカゴ大学のキャンパスが広がり、歴史を感じる建物が立ち並び、緑が豊かで落ち着いた雰囲気です。
大学の寮の部屋には、ベッドと机、そしてクローゼットがありましたが、生活に必要な物は、現地でそろえなければならず、食事も自炊です。学費や生活費の管理のため、自分の銀行口座も開設しました。もちろん、授業の準備も必要です。キリスト教の教義や歴史、社会学や人文学、心理学、教育学、哲学などの科目を各学期ごとに3科目履修することになっていました。神学校というと宗教的なイメージがしますが、カリキュラムは卒業に必要な単位を習得していく大学院と同じで、クラスはゼミ形式です。そうして、期待と緊張がいっぱいの初めてのアメリカ生活は、息もつけぬほどの忙しさで始まりました。
そんな中、私は、同じ寮に住むカナダ人の老夫婦と親しくなり、一緒に食事をしたり、勉強のことや身の回りの相談にも乗ってもらえるようになりました。とてもありがたいことでしたが、学校に日本人は私一人。日本語を話す機会もありません。今では日本へ無料で電話をかける方法がありますが、当時、そんな便利なものはありません。英語漬けの毎日も、仲良しの隣人ができたことも、自分はとても恵まれていると、分かっています。しかし、私のストレスは溜まっていきました。一人でおにぎりを食べていた時に、寂しさがあふれ出てきて、たまらなくなりました。普通のおにぎりでしたが、今までで一番しょっぱい寂しい味がしました。
私の渡米の少し前に、シカゴ市内に金光教の教会ができていました。それを知った私はその教会に行きたくてたまらなくなり、その教会の先生に電話をかけ、行き方を教えてもらいました。寮から教会までは、バスと地下鉄を乗り継いで、1時間以上かかります。現地のバスや地下鉄に乗るのは初めてです。まるで小さな子どものように、事前に何度も何度も行き方を調べました。見知らぬ土地でのひとり旅。私にとっては大冒険です。学校が休みの日曜日に行くことに決め、当日の朝を迎えました。もう一度確認しようと、旅行ガイドを開いてみると、なんということでしょう。教えてもらった地下鉄が、「日曜日運休」と書いてあるのです。「どうしよう」。しかし、どうしても参拝したい私は、なんとか迂回ルートを探して、家を出たのでした。
最寄りの停留所から乗ったバスは、ミシガン湖のキラキラ輝く美しい湖面を横に見ながら、シカゴの摩天楼へと向かいます。とても美しい景色なのですが、その時の私には、それを楽しむ余裕などありません。自分の降りるバス停を逃さないように、必死でした。地下鉄に乗り込んでからは、犯罪に遭わないように、より緊張してガチガチです。そして、もう一度バスに乗り換えて終点まで行くと、教会まであと徒歩10分。ただ、数日前に、この地域で発砲事件が起きたニュースを見たところだったので、ドキドキは収まりません。
人生で一番長い10分の距離を進み、疲れ果てやっとの思いで教会に辿り着くと、先生が笑顔で私を迎えてくれました。教会で神様に手を合わせていると、心が落ち着いて気持ちが軽くなっていきました。初めての場所で初対面の先生です。なのに、私の緊張はすうっと溶けていき、ストレスだらけだった気持ちが整えられ、日常の生活に戻る元気が生まれたのでした。
教会から帰ると、それまでと同じように、私には毎週発表やレポートなどの課題が出ます。日本語も話せず、ストレスを感じる毎日です。しかし、教会にお参りし、心を落ち着けられたという実感を得た私は、それまでと違い心が驚くほど軽くなっていました。
神様に手を合わせて祈れる場所、安心できる場所があるのは、何より幸せなことです。私にとって教会は、まるで砂漠のオアシスのように、ストレスだらけだった心に潤いを与えてくれました。一人で食べるおにぎりも、心が潤うとおいしい普通の味に戻り、明日も頑張ろうと私に元気を与えてくれました。
そうして私は、毎月、時間を作ってシカゴ教会にお参りするようになり、留学期間を安心して過ごし、人生で掛け替えのない経験を積むことができました。
宗教というだけで敬遠されがちですが、困難な問題があふれている現代社会であればこそ、心がほっとできる場所を持つことは、元気な心で生きていくために大切なことだと思うのです。
神様に心を向けて、祈りを捧げてみませんか。私がそうであったように、あなたの心の重みも神様が一緒に抱えてくださり、心がふわっと軽くなってくると思いますよ。