幼稚園に行きたくないの


●もう一度聞きたいあの話
「幼稚園に行きたくないの」

愛媛県
金光教今治いまばり教会
塚本憲正つかもとのりまさ 先生


 末娘が、楽しみにしていた幼稚園に通い出して、2、3日経った時のことです。急に「幼稚園に行きたくない」と言い出しました。妻は娘に、「楽しみにしていたのにどうして行かないの。楽しいから行きましょう。みんな行っているでしょう」となだめすかして、子どもを幼稚園の教室の中まで連れていき、先生に事情をお話しし、よくお願いして帰りました。その時先生は、「幼稚園では、みんなとよく遊んでいますよ。どうしてでしょうね」とおっしゃいました。それからは、幼稚園に連れていくと、入口の所でぐずぐずして中に入っていかず、先生が迎えにきてくれると、渋々ながらやっと入っていくという日が続きました。
 そうしたある日、また、幼稚園に行きたくないといって、ダダをこねはじめました。妻がいろいろ説得しますが、行こうとしません。そこで、思いあまって私のところに連れてきました。私も、このまま娘の登園拒否が続き、それがずるずる続いて登校拒否にでもなっては大変だと心配です。そこで、なだめすかし、いろいろ説得してみるのですが、行こうと言いません。泣きながら自分の部屋に逃げ込んでしまいました。
 こうした時、じっと辛抱強く訳を聞いてやったり、娘が幼稚園に行ってくれますようにとお祈りすればいいのですが、どこの子でも登園しているのに、あんたはどうして行かないのか、落ちこぼれになってしまうぞと責めたり、「行きたくないのなら行かなくてもよろしい。その代わり、途中から行きたいと言っても行かせないが、その覚悟があるんだな」、と言って威嚇したりして、いよいよ事情を悪くするものです。私も、どうしても娘が言うことを聞かないので、部屋まで行って、そうした責める言葉や威嚇、脅迫まがいの言葉を言いそうになりました。しかし、その時、瞬時に思ったのは、もしそういうことを言って、娘が「それでいいよ。幼稚園には絶対行かないから」と言い、意地になってそれを守り続けると、今度は、親のほうから頭を下げて幼稚園に行ってくれと頼まねばならぬ時が来るかもしれない。その時、「どうしても行かない。あの時、約束したから」と言われると、どうしようもないということを思いました。それで、かろうじてその言葉を口の中に飲み込みました。 私は、込み上げてくるイライラを抑えて、娘にやさしく、「どうして幼稚園に行かないの。あれだけ楽しみにしていたのに」と尋ねました。すると、「お友達がいないから」との答えが返ってきました。答えの中に、解決への道が示されていても、こちらの心が開かれていなければ、それに気づきません。
 娘は、本当は幼稚園に行きたいのに、行きたくないと言っている。どうすれば娘の心が助かるのだろうか。祈るような気持ちで考えました。そして娘に、「幼稚園には行かなくてもいいから、入り口まで行ってみようか」と言いました。すると、「入口までなら行ってもいい」と言います。早速自転車に乗せて、入り口まで連れていきました。「教室には入らなくてもいいから、教室の入り口まで行ってみようか」と言いますと、「教室の入り口までなら行ってもいい」と言いますので、教室の入り口まで連れていきました。すると、先生が出てきて、「喜久代きくよちゃんおはよう、よく来たね。みんな待ってるよ。一緒に遊びましょう」と言って、手を引いて中に連れていってくれました。
 私は、幼稚園から帰り、しばらく神様にお祈りをしていました。すると、ふと気づかされることがありました。「娘は、友達がいないからと言っていた。先生がみんなとよく遊んでいますよとおっしゃったので気づかなかったが、本当は友達を作るのに大変だったのではなかろうか」、ということでした。といいますのは、妻は朝、仕事が忙しいので、娘を幼稚園に連れていくのは、始まるギリギリの時間で、その頃にはみんな登園していて、それぞれにお友達と遊んでおり、その輪の中に入るのが大変なのではなかろうかと気づきました。
 そこで、妻と娘に「早めに幼稚園に行けば、友達ができるのではないか」と話し、娘も納得し、次の日は一番になるように登園しました。一番に登園していますと、後から来る子に「遊ぼう」と声をかければ、すぐにお友達になれます。そうして問題に明かりが見え出した頃、幼稚園で、妻がある園児のお母さんから、「うちの子も去年そうでしたのよ。同じクラスだから毎日お迎えに行ってあげます」と言われ、それからはその子と一緒に、喜んで幼稚園に行くようになりました。そして、次々とお友達も増えていきました。
 私たちは、何か問題が起こると、自分の尺度でもって善い悪いを決めて、説教をしたり、責めたりしますが、相手の言うことにじっと耳を傾けたり、相手の心になって一緒に問題を考えたり、そのことをお祈りすることにはなりにくいようです。私も、子どもの登園拒否に対して、親の権威でもって押さえつけようとしたり、一般的な判断、常識的な判断によって、子どもを責めようとしました。そういう姿勢からは、決して良いものは生まれてきません。
 金光教の教主のお歌に、「ちちははも子供とともに生まれたり育たねばならぬ子もちちははも」とありますが、親として、どこまでも子どもの心、命の叫びに目を向け、共に祈り、共に問題に取り組んでいくことが大切であると、改めて教えられた出来事でした。

(平成3年1月9日放送)

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