●第3回
「かんべむさしの金光教案内6」
金光教放送センター
おはようございます。『かんべむさしの金光教案内』、3回目の今朝は、教典に出てくる大勢の信者さんの中から、女性と男性、2人を選んでお話をさせていただきます。どちらも私の好きな、金光教にぐっと親しみを感じさせてもらえたエピソードです。
明治時代の話ですが、ある日、教祖さんから教えを受けて、教会も開かれてた先生が、その教祖さんのもとに参拝されました。そしたらそこへ一人の女性が参ってきたんですけど、顔を隠すように頭巾を深くかぶって、それを脱がないまま、神様を拝んでるんですね。それでその先生が怪訝に思ってましたら、教祖さんが教えてくださいました。
「このお方は、もとは岡山で遊女をしていた人じゃ。評判の美人で、玉島の材木屋の主人にひかされて、『玉島に来てからは、毎日参ってこれます』と、喜んでおられる」
遊女とは郭、つまり遊郭で働く女性のことで、玉島は教祖さんのおられた備中大谷の近くです。そして「ひかされる」というのは、贔屓の客が遊女の抱えてる借金を清算してくれて、祝いの席も設けてくれて、自分のもとに引き取ってくれるという意味です。このお話では、その材木屋の主人と結婚したんですね。
ところが教祖さんは、さらに言われました。
「神様が仰せられるには、『この者は長らくの勤めで、体中が毒である。しかし、それを取ってやろうと思えば命が終わる。体に傷をつけて取れば命は助かるが、それでは亭主が捨てるであろう。だから子供を授けてやる。子供が出来れば亭主は捨てない』」
つまり遊女という仕事柄、悪い病気をうつされて、体中にその毒がまわってたんですね。それで神様は、その毒を取り払い、同時に死なずに済み、亭主からも捨てられずに済むよう、配慮を尽くした助け方をされた。
その仰せがあった翌年、元気な男の子が生まれて亭主が大喜びしてから、彼女の顔に出来物ができだして、それがどんどん増えたんです。女性としてとても人前には出られない顔になって、それで頭巾をかぶってたんですが、神様は出来物の膿を出すという形で、毒を取ってくださってたんでしょうね。
それで私、これを読んだ時、その助け方に、「優しい神様だな。情のある、いい話だなあ」と思いました。と同時に、「なるほど。助けてもらうには、時間のかかる問題もあるんだな」とも思いました。人間一人を死なさずに毒を取るためには、神様も手間と時間をかけざるをえないということなんでしょうね。
ですから、この女性がそのあとどうなったかは載ってませんでしたが、長い年月がかかったにせよ、もとのきれいな顔にもどったんじゃないでしょうか。そう思いたいですね。
さて。二人目は男性信者さんのお話でして、ある時、田圃を作ってる人が、「苗代にひきがえるが入って、卵を産んで困ります」と、お願いに来ました。そしたら、それに対して教祖さんはどう答えられたか。
「よそではそれを封じるというが、うちでは封じない。かえるに、畦(あぜ)で遊んでもらうようにすればよい。うちの田に入らないようにすれば、よその田に入るから」
江戸時代も明治になってからも、備前・備中・備後、今の岡山県や広島県には田園地帯が多かったので、こんなお願いをするお百姓さんもおられたわけですね。「封じる」というのは、行者さんか誰かに頼んで、まじないをしてもらうということでしょう。
しかし教祖さんは、「うちでは封じない」と言われた。自分の田圃に入らないようにと封じたら、かえるはよその田圃に入る。誰の田圃に入っても困るのだから、畦、畦道の畦ですね、そこで遊んでもらえばいいのだと。
それで私、初めてこの話を読んだ時、「これは以前テレビでやってた『まんが日本昔ばなし』の世界やな」と、うれしくなりました。自然という環境の中で、人間も他の生き物たちも、共に生きているのだからという、実に穏やかな雰囲気のお話でして。
ですからこの「共生」、神様がつくられた天地の中で、全ての生き物や、草や木までもが共に生きているのだというものの見方は、金光教のひとつの土台になっております。
そして私は、大阪市内にある金光教玉水教会という、明治時代にできた教会に通わせていただいておりますが、その初代教会長の教えにも、同じような話があります。
大阪近郊で枇杷畑を作ってる信者さんが、野ウサギが出てきて食い荒らすので、それを止めてほしいとお願いに来ました。それに対して初代教会長は、こう教えられました。
「神様は野ウサギたちの食べしろも含めて、枇杷を育ててくださってる。だから、あちこちの木を食い荒らされて困るのなら、四本か五本かの木を決めて、これはおまえたちにやるから、他の木は荒らさんようにと願いなさい。私もそう御祈念させていただくから」
そしたらそのあと、実際にそうなったそうで、優しくて情のある光景が私の心に残って、金光教がさらに好きになったお話です。
はい。それでは来週は、元は明治時代の大阪で、弁護士として活躍されてた、善積順蔵という先生のお話をさせていただきます。ありがとうございました。