かんべむさしの金光教案内6 第4回


●第4回
「かんべむさしの金光教案内6」

金光教放送センター


 おはようございます。『かんべむさしの金光教案内』、4回目の今朝は、明治時代の大阪で、元は自由民権論の闘士で、弁護士としても活躍されてた、善積順蔵よしづみじゅんぞうという先生のお話をさせていただきます。
 金光教の中では、教典や教祖さんの伝記とともに、人助けに励まれた先生方のお話をまとめた本も何冊も出ておりまして、私、善積先生のことはその一冊で知ったんです。そしたらまあ、その内容や雰囲気といい、続々と出てくる当時の有名人といい、無茶苦茶におもしろくて、興奮しておりました。
というのが、まず書き出しが、「余が初めて世の中に出たのは明治7年、土佐の立志社に入って法律の研究が初めで、ルソーの民約論などに心酔したものであった」と、こうですからね。「間もなく大阪にのぼって同志の二、三と盛んに民権自由論をならして、公開演説などをやって世の中を騒がした」
 つまり明治時代の初期には、薩摩や長州のいわゆる「藩閥」政治に対して、自由民権運動が盛んになり、大阪はその中心地だったんです。ですから演説会は、「一歩当局攻撃にわたらんか、ただちに中止解散、拘束、時には聴衆と警察官吏との争闘が起こる」という。会場内で乱闘が始まったんでしょうね。
 おまけに明治10年代には、藩閥関係者による大きな汚職事件も起きてましたから、自由民権派は新聞を発行して糾弾する。善積先生も大阪の新聞社に入って奮闘されるんですが、その時代の体験談には、中江兆民なかえちょうみんとか植木枝盛うえきえもりとか、高校の日本史の教科書に出てきたような人が続々と登場する。大正時代に首相になる原敬はらたかしなんか、原敬君と親しげな呼び方で、それとは別に宗教方面では、「新島襄にいじまじょう君とも深く交わった」と、こうですわ。
 ただし、その後弁護士になって活躍され、出身地の兵庫県で県会副議長に選ばれたりもして、「余の得意時代であったため、金光教の如きはほとんど眼中になかった」と言っておられます。
 一方その頃、当時の金光教で大阪教会を開かれた、初代白神新一郎しらかみしんいちろうという徳の高い先生が、世の中を惑わすという疑いで検挙されたことがありました。それで善積先生がその弁護を頼まれたんですが、先生いわくは、
 「あくまで弁明して無罪にせんと、一生懸命に教理を研究した。今から思えばこの時既に、神の御綱みつながかかったのであった」
 つまり、その時、金光教に先の御縁を頂いてたということでしょうね。ただし白神先生と面識ができ、裁判にも勝ちましたが、まだ信者になる気はありませんでした。
 ところが実は、この善積先生の奥さんが、娘時分から大阪教会に通っておられた方でして。最初友達に「どんな願いでもかなえてもらえる」と聞かされた時には、欲の深い人が信心する神様のように思い、しかし同時に、「便利な神様だ」とも感じられたそうで、「便利な神様」には、それを読んだ時、私は思わず笑っておりました。
 それで結婚後も信心を続け、折々、御主人にもそれを勧めてたんですけど、奥さんいわくは、「本職が弁護士で、すべてが理屈っぽくて」、とても説得できない。しかし奥さんの信心に反対はせず、金光教で言う「おかげ」、願いの成就や難儀の解決の実例については、これも仕事柄でしょうか、「事実ほど有力な証拠はない」とは言っておられた。
そんなわけで明治37年、ついに奧さんの勧めに従って、一緒に御本部に参拝されたんですね。そしてその時、とうに亡くなっておられた教祖さんのお墓にも参られたんですが、その時のことをこう言っておられます。
 「実に不思議じゃ。ぬかずいてお礼を申し上げていると、何物かぼっとしてかすみの如く余の眼に映じたと思う瞬間、あたかも電力にでも触れたかの如く、有難いようにも思うが、心気は遠く遠くなっていき、やがて一種の想いが湧いて滾々こんこんたる泉となって流れてしまうようの感じがする」
 そしてそのあと、これまでの人生についての反省とか後悔とか、いろんな想いが次から次へと浮かんできたそうで、「これが余の信仰の第一動機であった」と言っておられます。
 つまり、それまでに弁護士として金光教の教えは研究されてたし、奥さんは熱心な信者だった。そこにこの霊妙な体験が加わって、それこそ「事実ほど有力な証拠はない」ということになったんでしょうね。信者になられて、奥さんと共に信心を進められたんです。
 そしてその後、結核性腎炎けっかくせいじんえんになって医者にも見放されたんですが、夫婦そろって御本部で祈り続けましたら、快方に向かい出して、ついには全快しました。そこで善積先生、その助けてもらった大恩に報いるためにと、同じく夫婦そろって金光教の教師になられ、明治40年には、現在の韓国のソウルにあった教会の、教会長を拝命されたんです。
 とにかくまあ、文章も内容も実に明治時代風でして。当時の大阪が自由民権論で沸き返る街でもあった様子がおもしろかったし、「金光教の如きは」と言ってた人の、生き方の激変という点でも興味深くて、ちょっと興奮気味に伝えさせていただきました。
はい。それでは来週は、私自身が金光教に御縁を頂いた、その時のお話をさせていただきます。ありがとうございました。

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