●こころの散歩道
「支え、支えられ」
金光教放送センター
ある日、小学6年生の女の子Aちゃんが、私の奉仕している教会にお参りに来ました。明日から修学旅行に行くとのことで、神様にお願いをしに来たのです。楽しみにしていたのでしょう、うれしそうに旅行の日程を教えてくれて、「元気に行けますように」とお願いしました。ただ一つの心配は、バス酔いのことでした。私はAちゃんにこう言いました。
「バス酔いを心配している子は、他にもいると思うから、その子たちのことも一緒にお祈りしてあげましょうね。あなたのことは、神様がちゃんと守ってくださるから心配ありませんよ」
そう言うと、さらにAちゃんは、こう願いました。
「クラスに、学校に行けなくて休んでいる男の子がいます。その子も一緒に参加できますように」
その子のことは、クラスのみんなも気にかけていて、修学旅行に参加できるようにと手紙を書き、先生に家へ持って行ってもらったそうです。
さて、数日後。修学旅行から帰ったAちゃんは、お土産を持ってお礼のお参りに来ました。残念ながらその男の子は、修学旅行には参加しなかったそうです。しかし、クラスのみんなが「修学旅行に来てほしいな」と気にかけていたこと。また、Aちゃんの、神様にお願いしようという、豊かで大きな祈り。素直に人のことを思い、祈ることができる。それはとても尊いことだと胸が熱くなりました。
さらには旅行中の夜、おなかの痛くなった子がいて、Aちゃんは、その子の看病をしてあげたそうです。自分も眠たかっただろうに、友達の看病をしてあげたことに、感心しました。2日目は睡眠不足にも関わらず、心配していたバス酔いもせず、楽しく無事に修学旅行から帰ってきたのでした。
友達のことを思い、親切を尽くして行動に移すことのできるすばらしさを感じました。
中学3年の娘は、新学期から友達のグループ間でのトラブルが元で、学校に行けなくなってしまいました。
本人は、何とか頑張って行こうとするのですが、朝になると気持ちがしんどくなって、なかなか学校に行くことができません。親としても、2年生までは普通に行けていただけに、どうしたことかと心配で、トラブルが一日も早く解決して、登校できるようにと、祈るばかりでした。
そうした中、学校や担任の先生の配慮で、教室で授業を受けるのではなく、別の部屋で学習してみることにしました。1時間だけでも、2時間だけでもいいから学校に行くように努力していきました。
そして2カ月ほど経った頃、意を決して、クラスに行ってみようと学校に出掛けました。でも、なかなか自分のクラスに入れません。校舎内をうろうろしていると、他のクラスの友達にばったりと会いました。するとその友達が、「心配してた! 学校に来てくれてうれしい!」と涙を浮かべて喜んでくれたのです。娘は、友達がこんなにも心配してくれていたんだと分かり、そのことがすごくうれしく思えて、だんだんと前向きな気持ちになっていきました。
それまで、娘は悪い事ばかりを気にしていました。しかし、このことで人の思いや優しさに気づくことができました。友達から励ましのメールをもらっていたこと。ノートやプリントを家に届けてくれていたこと。たくさんのことをありがたいことと思い返せるようになりました。
そうしているうちに、だんだんと、学校へ行って、教室で授業を受けられるようになっていきました。そして、一学期の最後の頃には、一日中クラスで授業を受けられるようになりました。
友達のグループ間でのトラブルから始まった不登校でしたが、その解決の糸口は、自分のことを心配してくれていた友達の思いに触れたことでした。そして娘は、家族はじめ学校の先生や友達に、支えてもらっていたことを知りました。
その後のことですが、他にも友達で学校に行けない子がいて、娘はどうしているかと、おやつの差し入れを持って、その子の家を訪ねました。自分のつらかった経験をとおして、しんどい思いをしている友達に、思いを寄せることができるようにもなっていたのでした。
娘は、その間に実施された修学旅行にも参加できませんでした。思い出となるはずの修学旅行に行けず、残念だったことでしょう。しかし私は、娘がこの経験をとおして、大きく成長させていただいたと信じています。人の思いや優しさに触れ、助けられたこと。人への思いやりと感謝が生まれたこと。それは娘のこころの成長に繋がったと思うのです。
人と人とは、思いやりのこころによって、支え、支えられているお互いだと思います。
今日も、人を大切にするこころを持って、人に支えられているよろこびと、感謝の一日でありますように。