雨あがりの道を歩いて

●こころの散歩道
「雨あがりの道を歩いて」

金光教放送センター


 大雨、猛暑に事件事故…。暗いニュースにうんざりしていたところへ、長年担当してきた部署がなくなることになってしまった。おまけに、大学生の娘の就職も、なかなか決まらない。気持ちは沈み、先への不安は募るばかり。家の中でもため息が増えて、きっと嫌な空気をまき散らしていたのだろう。「雨が上がったから、少し歩いてきたら!」と、妻に追い出されるようにして、散歩に出かけるはめになってしまった。
 散歩のコースを決める暇もなく外へ出された私は、足の赴くまま、線路沿いの道へと向かっていた。そこなら、好きな電車を眺めながら歩くことができる。

 あれは、いつ頃だったのだろう。線路沿いのこの道を、祖母と歩いたことがある。若い頃の祖母が、市場へ行く時、人通りの少なかったこの道をわざわざ選んで歩いたという。空襲で家が焼けた後、戦争は終わったけれど、乳飲み子を含む大勢の子どもを抱えていた祖母。わずかなお金を何とか工面し、線路の向こうに見える市場へと、「買えるものがあるだろうか」と案じつつ向かう。途中、人知れずこの線路端にしゃがみ込み、「どうぞ子どものために、何か栄養のあるものを買うことができますように…」と心の中でお願いしていると、拭けども拭けども、涙が溢れたのだという。生活の苦しさ、先への不安。言葉にもならない思いが涙となって、祖母の心から溢れ出ていたのに違いない。いつも穏やかで優しい祖母に、こんなにもつらい時期があったのかと、私は子どもながらに驚いたのだった。返す言葉もなく祖母の顔をのぞき込んだら、にっこり微笑んで、「今は、いい時代。幸せやねぇ」と、つぶやいた声が忘れられない。

 歩きながらふと見上げると、雨上がりの夕空が美しい。祖母より少し年下だった賀子よしこさんが亡くなった夕方も、こんな空だった。「過ぎたることを思い出して苦をするな。先を楽しめ」「悪いことを言って待つなよ。先を楽しめ」。これは、戦後の苦しかった時代に祖母と知り合った賀子さんが、手記に書き残していた金光様の教えの言葉だ。苦しかった日々を生き抜き、孫にも恵まれ、107歳の天寿を全うした賀子さんの人生の支えになっていたという。賀子さんと信心仲間だった祖母も、「苦をするな、先を楽しめ、先を楽しめ」と自分に言い聞かせて涙を拭い、線路の向こうの市場へ向かっていたのだろうか。
 私も、祖母たちの真似をして、「先を楽しめ、先を楽しめ」と、心の中でつぶやきながら足の向くまま雨上がりの道を行く。気がつくと、足取りが少し軽くなったように感じられ、気分も何だか晴れてきた。

 家を出た時には、近くをひと回りして帰るつもりだったが、あいにく、踏切の遮断機が下りている。電車の本数が多くなる夕方だから、きっとしばらく待たねばなるまい。私は、もう少し足を延ばしてみることにした。進んでいくと、児童公園に佇むゴリラのオブジェが見えてきた。遊具でもないゴリラが特徴的なこの公園。そういえば、就職が決まらず落ち込んでいる娘が小さかった頃、連れてきて遊んだことがあった。
 その頃娘は、幼稚園の保育室に入るのを嫌がって、連日、園長先生のそばで過ごしていた。高校入試は、まさかの不合格。滑り止めとして受けた学校に、これ以上ないというほど暗い顔をして通い始めた姿も忘れられない。その娘が、大学では、自らゼミの学生をまとめる役を買って出たのだという。そうだ、そのうえ就職活動では、不採用の連絡ばかりが届くのに、「お父さん、この会社どうだろう」と、すぐに気持ちを立て直し、頑張っているではないか。
 「仕事のことも、大丈夫。何とかなる」。そんな気がしてきた私は、「先を楽しめ、先を楽しめ」とつぶやきながら、少し早足になって我が家へと向かった。

 「ただいま~」。我ながら驚くほど明るい声が出た。追い出されるようにして出かけた散歩は、一時間を優に超えていたらしい。のどを潤そうとリビングへ行くと、出がけにはなかった可愛らしい花束が置かれている。
 「あの子の就職、内定が出たらしいわ。外からメールをくれていたけど、気がつかなくて…」と、妻はうれしそうだ。「この花束、ついさっき、幼なじみのお友達が、わざわざ持って来てくれたの。就職のお祝いなんだって」と、にこにこ笑顔で教えてくれたのだった。

 冴えない気分でしぶしぶ歩き始めた、今日の私の散歩道。「人生、厳しいこともあるけれど、先を楽しみにして生きていけ。道は開けるのだから」と、勇気づけられながら歩いたのは、神様が用意してくださった「こころの散歩道」だったに違いない。

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