8月6日を語り継ぐ


●教師インタビュー
「8月6日を語り継ぐ」

金光教放送センター


(ナレ)現在、広島市内の大学に勤務する白神亜礼しらかみあれいさんは、今は亡き祖父にとてもかわいがられ、平和公園など、よく散歩に連れていってもらった思い出があります。その時に、被爆者であった祖父から聞いた原爆の話を今でもはっきり覚えています。

(白神)平和公園に続く川があって。原爆で亡くなった人っていうのは、多くはすごい熱線を浴びて、体が熱いから川に飛び込んで、それで、そのまま亡くなって。その遺体がずーっと一日中流れていたっていう話を聞かされた時に、あまりにも衝撃で、怖かったんですよね。それがすごい私の頭に残ってて。恐怖の感情しか残らなかったんです。

(ナレ)爆心地に近い広島市内の小学校に通っていた亜礼さんは、学校で熱心な平和教育を受けていました。そのため、学校でも祖父からも繰り返し聞かされる原爆の話は、あまり聞きたくないものになっていました。
 しかし、多くの人に平和の大切さを伝えたいと願う祖父は、夏休み、ラジオ体操に参加した後、子どもたちを集め、原爆の話をしていました。亜礼さんは、恥ずかしさもあって、話を聞かずに帰ったことを今でも後悔しています。
 そして、大学時代にも忘れられない出来事があります。祖父が奉仕していた金光教鯉城りじょう教会では、原爆が落ちた8月6日に、毎年慰霊祭をお仕えしていました。

(白神)8月6日の慰霊祭に、私も参加してほしいって言われたんですよ。祖父は原爆の本をいっぱい遺してて、その中に祖父が作った詩があったんですよね。みんなの前でその詩を朗読してほしいって言われて。で、すごい反抗的に、「なんかすごいめんどくさいんだけど」みたいなことを言ってしまって。ほんとに今考えたら、ひどい孫なんですけど。8月6日、教会に私いたんですけど、なんとその日に、お参りがゼロだったんですよ。毎年何人かはお参りにくる人がいたらしいんですけど、その年は誰もいなくって。その時の祖父のつらそうな、さみしそうな顔が忘れられなくて。祖父がどれだけの思いをもってこの会をしようとしてるのか、その気持ちも全くくみ取れずにいた自分と、この会に誰も来ないということの危機感。その両方が、当分頭の中から離れなかった。

(ナレ)しかし、その時の思いは胸にしまわれたまま、月日は流れ、結婚して娘ができ、その子が小学校4年生になった時のことです。一枚のチラシをきっかけに、亡き祖父の思い出がよみがえります。そこには「原爆慰霊碑ガイドボランティア」という文字がありました。

(白神)「原爆慰霊碑ガイドボランティア」を親子でしましょうっていうチラシを、娘が小学校から持って帰ってきて、なんかそれが目について。「原爆?」って。それで申し込もうってなったんですけど、そう思った動機として、私は祖父からいろんな話を聞かされてきたり、学校でもいろいろ聞いてきたのに、娘には何も、私のおじいさんが原爆にあったことも伝えてなかったっていうことがあったんです。
 原爆の恐ろしさとか平和の大切さを、祖父はすごく大事に思ってた。その祖父の気持ちを私はものすごいいっぱい頂いてるから、身近な娘には伝えんといけんなって。

(ナレ)このボランティアは、原爆や慰霊碑について学習し、実際に案内をするというものでした。参加の動機は他にもありました。
 娘が通う市内の学校も毎年8月6日が登校日で、皆で黙とうを捧げ、平和や原爆について学ぶのですが、同じ広島の人でさえ原爆への思いが違っていたのです。

(白神)お母さん友達と話してる時に、「8月6日はもう休ませてもいいよね」みたいな話がよく出てくるんです。それを聞いていると、8月6日の登校日っていうものの重さっていうのが、すっごい薄れてきてるなって、それもすっごい怖いなと思って。8月6日の登校日は、その日に何があったって再認識する日でもあるし、その日に亡くなった御霊みたま様へのお祈りをする日でもあって、すごい大事な日だから。

(ナレ)ボランティアに参加したことで、親子でより深く原爆の勉強ができ、何より祖父の話を娘に伝えることができました。そして、その様子がニュースで流れ、思わぬ展開が生まれます。

(白神)最初地元の10秒くらいのニュースだったのが、全国テレビのニュースで放送されたんです。で、今度はおじいさんの原爆の体験と、それを知ろうとしている親子についてのドキュメンタリーを作りたいと思ってるんで、密着させてくださいっていう話になって。それで祖父の被爆体験が全国放送されて、さらにそれが英訳されて全世界に発信されてっていうふうに流れがばーって広がっていって。それこそ本当に御霊様の働きでしかないっていうか。祖父の思いが私を動かして、そこからそれだけの広がりを見せていったという、すごい体験をさせていただきました。

(ナレ)一方、メディアに出たことで、誹謗中傷を受けてしまいます。

(白神)ボランティア活動をよく思われない人がいて、批判もあるんですよね。偽善者とか言われたりね。もうやめてしまおうかなっていうふうに思ったこともあったんですけど、大事にしている金光様の教えで、「おかげは和賀心わがこころにあり」っていう教えがあるんですけど。私はその教えを、「自分の思いを変えることによって、自分は変えられる」っていうふうに頂いてるんです。誰が何を言おうが、祖父の気持ちを伝えたいと思ってるから、それを続けたいもあるし、続けていかないといけないっていう。その私の思いを、この教えがすごい後押ししてくださっているっていうふうに思ってて。
  
(ナレ)爆心地の近くで被爆し、周りが皆即死の中、生かされた祖父。その祖父の貴重な生の声を聞かせてもらったのだから、その意思を受け継ぎたいと、亜礼さんは今も祖父の写真に語りかけます。

(白神)続けるよって、やめてないからねっていうね、そこでね。なんか確認し合うっていうかね。続けていくってことが大事かなあって、ちょっとずつ進めていけばいいかなって。

(ナレ)
 生涯をかけて原爆を伝え続け、亡くなってなお平和を祈り続ける祖父の思いを胸に、亜礼さんはガイドボランティアに参加します。そして、数ある原爆慰霊碑の一つひとつに存在する物語を丁寧に調べ、勉強を続けます。

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