老いるということ


●小川洋子の「私のひきだし」その4
第1回「老いるということ」

金光教放送センター


 皆様、おはようございます。作家の小川洋子おがわようこです。今年もまた『私のひきだし その4』と題してお話しさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。
 聴いてくださるのが初めての方もおられると思いますので、少し自己紹介をさせていただきます。私は両親、祖父母、皆が金光教の信者という家庭に育ちました。子どもの頃は、父方の祖父母が教師をしておりました、岡山市の岡東こうとう教会の敷地にある離れに住み、日常生活の中で、自然に金光教の空気を感じながら大きくなりました。26歳でデビューして以来、35年、ずっと小説を書いています。小説を書く、というゴールのない仕事を続けてゆく中、金光教の教えがいかに私を支えてくれているか、お話しできればと思っています。
 さて、先日、作家でお医者さんでもある久坂部羊くさかべようさんと雑談をしている時、老いの話になりました。
 「人間が歳を取って老いるのは自然の現象でしょう。昔は、耄碌もうろくする、と言ったんです。ところが今は、認知症という病名をつけたために、老いが病気になってしまいました」
と、久坂部さんがおっしゃったのです。
 その時、耄碌する、という言葉が耳に残りました。久しぶりに聞いた気がして、何となく懐かしい気分になりました。確かに私が子どもの頃は、歳を取っていろいろと不都合が生じてくると、「あの人も耄碌したなあ」と言ったものです。そこには、まあ、仕方がない、それが自然の成り行きだ、という一種あきらめの意味合いが込められていたように思います。あきらめる、と言っても切り捨てるわけではありません。人間が逆らえない自然の流れを、受け入れる、そんな感じでしょうか。
 しかし現代では、寿命がのび、認知症は大きな問題になっています。一家庭の中だけではなく、社会全体として高齢者をどうケアしてゆくかは、重要な課題です。それは十分理解したうえで、一個人として老いとの向き合い方を考えた時、教祖金光大神こんこうだいじんさまのこんなお言葉が思い出されます。
 「元気を出して信心せよ。年をとったのを苦に病むことはない。年をとっても一人前にできるのは信心だけである。信心していると、年を重ねるほど身に徳がついて、神がかわいがってくださり、若い者が大事にしてくれるようになる」
 私の父は晩年認知症が進み、施設にお世話になりました。ある日、新しく出たばかりの私の小説を持って会いに行ったのですが、もはや、私が娘だとは分からなくなっていました。父は介護士さんに「こちらは誰ですか?」と聞かれ、「妹です」と答えました。しかし私はさほどショックは受けませんでした。父にはたくさんきょうだいがいましたが、妹だけはいなかったのです。だからきっと、妹が欲しかったのでしょう。そう思うと、人生の最後に、念願の妹を持つことができてよかったじゃないか、しかも、私がその役目を果たせるのだからありがたいことだ、と思えたのです。
 私は新しい本を父に見せました。
 「これ、私が書いたのよ」
 そう言うと父は心底びっくりしたような表情を浮かべました。自分の妹が(本当は娘ですが)、本を書くなんて、とても信じられない、とでも言いたげでした。そうして、表紙のタイトルを読み上げはじめました。
 「……を……いて……と……ぐ」
 漢字は読めなくなっていたので、平仮名だけを指でなぞっていました。
 その時、一瞬、たまらない気持ちになりました。衰えた記憶は二度と戻ってこないことを、見せつけられたようでした。しかし父は、ページをぱらぱらとめくり、こう言ったのです。
 「こんなに書いたら死んでしまう」
 その口調には、心配でたまらない気持ちがあふれていました。ああ、父は娘も漢字も忘れたけれど、愛する者を心配する心だけは失っていない。老いてあらゆるものを失うばかりの時間の中で、自分より大事な誰かのことを思う気持ちは、むしろ高まっている。これは神様がかわいがってくださっている証拠だ。
 老いのおかげで父がたどり着いたのは、信心があってこその境地でした。余計なものがそぎ落とされ、最後に一番大事なものを神様が残してくださった。それが、私を心配する心だったのです。
 老いは失うことを意味しない。神様からの愛をより多く受け取って、信心を深めることができる。そう、父は教えてくれました。
 今でも新しい本が完成するたび、父の言葉を思い出します。「大丈夫、死んでないよ」と報告します。
 今日はここまでです。それでは次回、またお耳にかかりましょう。

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