切り捨てない


●小川洋子の「私のひきだし」その4
第3回「切り捨てない」

金光教放送センター


 皆様おはようございます。作家の小川洋子です。『私のひきだし その4』。本日は第3回をお送りします。
 私は生まれてから小学校5年生まで、岡山市にあります、金光教岡東こうとう教会の離れに住んでいました。つまり、父の実家の同じ敷地にある小さな家を借りていた、というわけです。
 ですから周囲には常に、両親だけでなく、祖父母や、伯父伯母、従兄弟、そして信者さんたちの存在がありました。大勢の人々に囲まれ、にぎやかな毎日を送っていたのです。
 当時はそれが当たり前だと思っていました。しかし、今から振り返ってみれば、何と恵まれた環境であったかと、ありがたい気持ちで一杯になります。特に大事なのは、信者さんたちとの関係です。
 金光教の教会とはどういう場所なのか、もしかすると縁のない方々には想像がつかないかもしれません。おそらく信者さん一人一人にとって、教会の持つ意味は違っているでしょう。ただ一つはっきり言えるのは、教会にはどんな人でもお参りできる、ということではないでしょうか。教会の中では皆が平等です。それは子どもの私にもはっきり分かりました。
 岡東教会は場所柄、お米屋さん、魚屋さん、日本茶屋さんなどご商売をされている信者さんが大勢いらっしゃいました。そのほか、大学の先生、税理士、建築士、公務員、会社員、主婦、隠居のご老人…などなど、挙げていけばきりがありません。老若男女、とにかくあらゆる人々が、教会の中では、信者、という言葉のもと、同じ立場を共有しています。外の世界の社会的な肩書などに、左右されることはありません。
 皆さん、教会で私を見かけると、「洋子ちゃん、洋子ちゃん」と優しく声を掛けてくれます。身内でもない、言ってみれば他人の関係でしかないにもかかわらず、私は信者さんたちとの間に、特別な親愛の情を感じていました。
 一人、忘れられない信者さんがいます。年はいくつくらいだったのでしょう。子どもは大人の年齢など気にしないものです。とにかく若い男性でした。平日の昼間でもよくお参りに来ていました。今から思えば、どこにも居場所のない人だったのかもしれません。お広前で他の信者さんと顔を合わせるのもつらかったのか、教会の一番奥にある和室に一人、何をするでもなくポツンと座っていました。
 私が顔を出すと、それまで寂しそうにしていたのが嘘のような明るい笑顔を見せ、歌をうたってくれるのです。しかも、とても歌が上手なのです。教会中に響き渡るほどの声量で、情感たっぷりに歌います。今すぐ歌手になれるのではないか、と思うほどでした。
 中でも一番よく覚えているのは『フランシーヌの場合』という曲です。出てくる歌詞、「3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ、フランシーヌ」、ここに出てくる3月30日という日付が、自分の誕生日だったからです。その曲を聴くと、自分がフランシーヌという洒落た名前の、パリジェンヌになったかのような気分になれました。これが、戦争に抗議して焼身自殺をした女性をいたむ歌だ、と知ったのはずっと後年、大人になってからでした。
 リクエストをすると、青年は何度でも『フランシーヌの場合』を歌ってくれました。考えてみれば不思議な光景です。教会の一室で、青年が歌をうたい、小さな子どもがそれに耳を澄ませている。歌っている時、彼は自信にあふれているように見えました。私が拍手をすると、満足そうにお辞儀をしました。二人だけの秘密の音楽会でした。
 やがて、青年が姿を見せなくなりました。大人たちははっきり教えてくれませんでしたが、彼の身に何か決定的なことが起こったのだ、という雰囲気は伝わってきました。
 今でも時折、彼の歌声を思い出します。人生のたったひとときでも、教会のあの狭い和室を、自分の居場所だと彼が思ってくれていたら…。3月30日生まれの女の子が送る拍手が、ささやかな慰めになってくれていたら…。そう、思わずにはいられないのです。
 あらゆる人間を平等に見ること。自分の狭い価値観に惑わされ、他者を勝手に切り捨てないこと。人間としての、基本的なあり方に、子ども時代、無意識のうちに触れる経験ができたのは、私にとってかけがえのない財産になっています。金光教の教えに接する子ども時代がなければ、小説は書けなかったかもしれません。
 本日は以上です。早いもので、いよいよ次は最終回となります。小説を書くことには、どういう意味があるのか、自分なりに考えてみたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

※お話のなかに『フランシーヌの場合』の歌詞の一部が登場しますが、著作権は郷伍郎氏にあり、作品コードは074-2033-1(JASRAC)になります。

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