あなたを信頼しています


●こころの散歩道
「あなたを信頼しています」

金光教放送センター


 私の娘は、大手スーパーの野菜・果物売場で働く6年目の社員です。
 ある日の夕方、お店の電話が鳴りました。取引先や本部で何かあったか、はたまたクレームか。良くないことが脳裏をよぎったと言います。予想は的中しました。
「おたくで買ったメロン、やわらかすぎて食べられへんわ」
 電話口の声は、お店によく来られており、たまにお話をするお客様でした。商品不良のクレームは、お詫びの上で自宅まで伺うのが一般的です。娘は謝罪するかたわら、仕事後の予定を思いました。その日は早く帰りたかったのです。常連さんであることに甘え、「ご自宅に伺います」と言えずにいました。話の中でお客様が「次お店に行った時に持って行く」と言ったため、娘は内心ホッとしたと言います。
 10分後、また電話が鳴りました。上司が電話を取り、何やら神妙な面持ちです。
 電話後の上司から聞いた内容はショッキングなものでした。先程のお客様が、娘の対応に怒り、別の者に家まで、代わりの品物を持ってきてほしいとのことでした。
 娘はふだん、自分の接客には自信を持っていましたが、甘えてしまったことへの後悔や、驕り、申し訳なさが渦巻きます。
 しかし、ほどなくして、お客様の自宅から戻った上司の第一声は、信じられないものでした。
「お客様が、褒めてたよ」
 娘が首をひねると、上司は言いました。
「お客様がこう言ってたよ。いつも対応してくれる人がすごく良い人やのに、電話口の人は…と怒ってた。でもそれは両方、君の話で、それをお客様に伝えたら驚いてたよ。怒らないであげてくださいって言ってた。で、自分が今悪く言ったことを、君には言わないでほしいって!」
お客様からの信頼を裏切ってしまったこと。その信頼は日頃の接客の積み重ねであったこと。この日の一件は、戒めとして今も思い出すと言っています。

 私の両親は仲の良い夫婦でした。お互いのことを信頼していました。父は大正生まれでしたがマメに動く人で、率先してゴミ出し等もしていました。母は父のことを頼りにしながらも、陰では父のことをしっかりサポートしていました。お互いに相手に対して、あれをしてほしい、これをしてほしいと望むのでなく、相手のために何をしてあげようかと思いながら、生活しているようでした。相手に求めてばかりいると、思い通りにならない時、腹が立ってしまうからだと言っていました。二人はけんかをしたことがありません。
 父は私のことも愛してくれていましたが、私が昔、母のことで腹が立ち、父に分かってもらおうとしたことがありました。しかし、父はどんな時でも穏やかに、「お母さんはそれだけ、あんたのこと思てるということや」と言っていました。私とすれば、ただ共感してほしかったんですが、父は母を悪く言うことがありませんでした。母のことを大事にしていたからだと思います。…あの時若かった私も、今では子どもを持つ親になり、そうなって初めて、その時の母の気持ちが痛いほど分かるようになりました。「やっぱりお父さんの言っていた通りで、お母さんは私のことを思ってくれていたんだ」と。今ではとても懐かしいです。
 そんな両親は5年前に亡くなりました。父は10月、母は翌11月でした。なんと母の命日は、二人の結婚記念日でした。偶然にも、その日に他界した母です。長い時を重ねて、信頼で結ばれていた父と母でした。

 私には、悩みをストレートに打ち明けられる人がいます。とにかくよく聴いていただき、しっかりと受けとめてくださいます。何より、私のために一生懸命向き合ってくださるのが、しみじみと伝わってきて、それだけでも気持ちが救われます。信頼できる人だから話せますし、それによって、心がだんだんと軽くなっていくのです。
 そして、それとは反対のことですが、私は金光教教師として、人の悩みを聴く立場にあります。聴かせていただいた後、「どうぞこの方の問題が良い方向にいきますように」とお祈りしています。すぐに結果が出ないことでも、信じるようにしています。初めは元気のなかったその人が、明るい表情に変わるとうれしくなるのです。まず、心を許して打ち明けてくださることがありがたいです。

 信頼…。よく耳にも口にもする言葉ですが、信頼とはいったい何なのでしょう。
 ゆるぎないような、もろいような、目には見えないもの。
 人と人とを繋ぐ大切なもの。
 でも、信頼関係は簡単に築けるものでもないですよね。
 きっと、人を大切にする日々の積み重ねの中に、気がつけば生まれてくるものなのかもしれません。
 どうか、今日という一日が、信頼に繋がる生き方になりますように…。
 

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