イライラ母さんからの手紙


●特選アーカイブス
「イライラ母さんからの手紙」

宮崎県
金光教西郷さいごう教会
塚本ひろ志つかもとひろし 先生


 前略。お元気ですか。わが家は皆元気です。いや、ちょっぴり元気じゃないかな、私の心。このイライラ母さんぶりは、とても健康的とは言えませんものね。このことは後で聞いていただくとして、いつの間にか二人の子どもの母となった私が、最近思うことを少し聞いて下さいね。
 ついこの間のことですが、子どもを連れて買い物に出ました。駅の階段を、1歳半になる下の子は、私に手を引かれて一段一段上って行きます。3歳3カ月の上の子は、一人さっさと上ってしまいました。で、その姿を見ながら、上の子がやっとハイハイをして階段を上がるようになった頃、「足だけでひょいひょいと上がるようになるのは、いつなんだろう。どんなふうにして、そんなことができるようになるのかな」などと思ったことを思い出しました。その時は、人の手にも自分の手にも頼らず、自分の二本の足でバランスよく階段が上れるということが、不思議でならなかったのです。ところが、いつの間にかこうして一人でどんどん昇れるようになっているのです。
 こんなことっていくつもありますよね。靴を脱ぐこと、履くこと、おしっこやうんち。どう教えたらいいんだろう、いつになったら自分でできるようになるのかしらと、あなたも思ったことがあるでしょう。
 「どんなことも神様にお願いし続けなくっちゃ」という友人の言葉に、そうだそうだと神様に手を合わせてきましたが、いつの間にか、靴を履くこと、脱ぐことに手がかからなくなり、いつの間にか、いえ、確かにオムツがとれるまでは長い日々でしたが、上の子はとうとう、「おっしこー」といってはバタバタとトイレに駆け込むようになり、「うんちー、お母ちゃん行こう」と言っては、私の手を引っ張ってトイレに行って、できるようになりました。
 また、道を歩いていて、人とすれ違う時、ちょこんと頭を下げて、「こんちわー」「おはようごないます」と舌の回らぬ口であいさつをする。おもちゃのブロックで、私なんかの考えもつかないようなものを作りあげる。ハイハイ真っ盛りの弟が玄関先に来ると、「あぶなーい。お母ちゃん、あきおくんが落ちるー」と、半泣きで私を呼ぶ。「夕焼けがきれいだねー」と、さらりと言う。
 ちょっと親バカと言われるかもしれませんが、誰もができていくことでも、そんな場面場面に出合うたび、ああ、こんなことができるようになっていた、こんな心が育っていたと、一人胸を熱くしています。
 自分が子どものことで願うその時、その時期の願いを含めて、またそれをずっと超え、もっと大きく包み込むようにして、私なんかが思いも及ばない働きを、子どもの成長の中で見せてもらっている思いです。
 ところが、私がそんな感動を覚えていたある日、もう一つのことに気づかされました。金光教の教主様から、こんなお話を聞かせていただいていたのです。
 「子どもは、あなたが分からずにきたこと、知らんかったことを教えてくれている。そう思いながらお礼申しつつ、お世話させてもらいましょう。おしめを換える時も『ありがとうございます』と言うてな。うんちが出たら『ありがとうございます』、子どもが泣いたら『ありがとうございます』と言うてな」
 つまり、わが子の成長を見るということは、そのまま私自身が受け、頂いてきた働き、成長を見ているということ。子どもがこんなことができた、こんな心が育っていたというありがたさは、そのまま私自身がそういうものを頂いてきたということ。もちろん、私自身は分からずに知らずにきたことだけれど、それをこうして子どもが教えてくれているのでしょう。また、「子を持って知る親の恩」と言われますが、親にお世話になってきたということも、教えてくれます。だから、子どもの世話をする中で、どんな時もお礼を申しながらさせていただくようにと、教えてくださったように思うのです。
 下の子どもの成長の中で、今度は、「いつかはできるようになる」と、まだできなくても、またそれができるようになっても、当たり前のように思ってしまいがちな私の心ですが、願うことはもちろん、こうした日々の成長にお礼の心を忘れずにと、改めて言い聞かされています。
 でも、そうは言っても日ごろの私ときたら、自分であきれるほど気短かで、ヒステリックで、お礼の心を持つ余裕もなくプンプン怒っている、イライラ母さんをやっていることのほうが多いのです。子どもがお茶をこぼせば、「もう!」と言い、子どもの寝起きが悪いと、「どうして泣くの! もっと寝てなさい」などと言ってしまう。
 そんな私の毎日を知ってか知らずか、つい最近、実家の母が、こんな話を私に聞かせてくれたのです。「あなたたち四人の子どもを育てながら、いつも言う前に祈らせてくださいと神様に祈っていたねえ」と。私たち四人の兄弟姉妹を育てるのは、私が今、二人の子どもを育てている以上に大変だったと思います。言いたくもないのに、言わずにおれず口にしてしまう。分かっていても、つまらない言葉や態度で、子どもの心を傷つけてしまう。だけどちょっと間をおき、心を静めて言えば、出てくる言葉は子どもの力となり、親も子どもも、全く違う生き方ができるのです。だから、言う前に祈りたい。ところが、それもなかなかできない自分。だからこそ、言う前に祈れるような自分にならせてくださいと願う。母の言葉に、こんなことを感じて私は、何だか力づけられるようでした。
 イライラ、プンプンしてしまう自分だからこそ、今も私は祈っています。
 「言う前に祈らせてください」と。
 久し振りにあなたへの近況報告でした。今度あなたに会う時、ちょっぴりいい母さんになっていられたらいいのになあ。ではまた。


(平成元年3月29日放送)

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