母の言葉に報われて


●私からのメッセージ
「母の言葉に報われて」

岡山県
金光教児島赤崎こじまあかさき教会
藤井淳二ふじいじゅんじ 先生


 今から34年前、母は伯母の危篤の知らせに、交通量の多い深夜の国道を急いで横断しようとして、大型トレーラーと接触。転倒して両足をひかれるという交通事故に遭いました。そこから私の生き方が大きく変わることになるのです。
 高校生だった私は、国道沿いで動けなくなった母を見つけ、救急車を呼ぶために、すぐ近くの伯母の家に駆け込み事情を伝え、そして、たった今伯母の臨終を看取られたばかりのお医者さんと一緒に、母の元へ戻りました。
 お医者さんの指示で応急処置をして救急車に乗り込み、少し離れた救命救急センターへも行くことができたのでした。
 病院に着くと警察の方がいて、私はすぐに事情聴取を受けました。そのあとロビーに戻ると父が到着していて、看護師さんから手術の説明を受けていました。私は一人離れてソファーに座って、頭を抱えたまま「どうか、母の命を助けてください」と、その時、生まれて初めて本気で神様に祈りました。
 ドアが開き看護師さんが出てくるたびに、「残念ですが」と、言われるのではないかと、胸がしめつけられる思いがして、そして何度目かのドアが開き、とうとう看護師さんが私のところへやってきたのです。そして私に、「入院の説明をしますので、病室にご案内します」と、言われたのでした。
 「入院? 入院ができるのか」と。私はこのときに「入院ができるありがたさ」を身にしみて感じました。
 その後も沈黙のまま、長い時間を過ごしましたが、夜明け近くになった頃「手術が無事終わった」との知らせがあり、その後、「2、3日が山です」と言われた母の意識が、奇跡的に戻ったのでした。
 私は喜びのままに、父と一緒に母と面会したのですが、その時医師からは、「足が無くなっていることは、決して言わないように」と言われていました。母の左足は手術でヒザ下から切断されていたのです。しかし、母の第一声は、「足がある?」でした。しばらく黙っていた父でしたが、「命さえあれば、何とでもなるからな。元気出せよ」と母に伝えたのでした。
 それから数日して、順調に回復していく母に、父が、「あの時の言葉はどういう意味だったのか?」と尋ねました。すると母は、「事故に遭い、私はあの時立とうとしたけれども立てなかった、触ると足が無かった」と。そういう記憶だけがあり、気を失っていたのです。
 ところが気が付くと病院のベッドに寝ていて、「どうも右のほうに、足先のような物が見える。足があるのではないか。もしかして、右足を残していただいたのではないか! それを確かめたかったんです」と教えてくれたのです。
 私は、母のその言葉に衝撃を受けました。そして、それまで抱えていた私の心配は、全部吹き飛んだのでした。
 多くの方々の祈りやお力添えによって、助かった母の命。
「後々ヒザが有るほうが」とギリギリのところまで足を残す手術をしてくださった医師の方々。ラジオで血液提供を呼びかけてくださり、深夜にも関わらず腕まくりをしながらロビーに駆け込んで来てくださった方々。その他にも、どれだけ多くの人が、母を助けるために動いてくださり、祈ってくださったことか。そうした尊い働きの中で助けられた命ですが、もし母が、無い足を嘆いていたら、助かった命を恨んでいたら、そうした尊い働きは、すべて無駄になってしまうのです。
 でも私は、仮に母が嘆き悲しみ、自暴自棄に陥ったとしても、決して不思議なことではないと思うのです。「私がもしそういう状況に陥ったら、どうなるのだろうか」といつも思うのです。
 嘆き悲しんでも不思議ではないのに、母は有る足を喜んでくれたのです。それによって、多くの方々の働きと祈りのすべてが、報われたのでした。
 助かった命の喜びが、家族をはじめ、心配してくださる人たち、医師や、日々お世話くださる看護師さんにも広がりました。
 「どう声をかけたらいいのか」との思いでお見舞いに来られた方が、「逆に励まされた」とも。また、近くの金光教の教会にお参りされるようになった方もおられました。お礼と喜びを体現する母の姿に、その場が和み、また母に会いたくなる。そうした母の生き方があったからこそ、家族はいつもそばにいることができ、何でもしてあげることができて、家族が一つになれたのです。
 私は母のそうした生き方から、「信心する人のすごさ」「信心のありがたさ」を目の当たりにするのですが、しかし同時に、「なぜそういう生き方ができるのか」「どうしてそういう事が思えるのか」との疑問も湧いてきました。そして、「そういう生き方がしてみたい、金光教をもっと知りたい」との思いから、私は金光教の教師になるための学校に入学したのでした。
 日々の生活の中で、自分には無いものやできないこともたくさんありますが、母のように、「無いものを嘆くのではなく、あるものを喜べる生き方」「少しでもできたことを喜べる生き方」をしていけるように、34年経った今もそれを目標にして、神様に「自分も家族や周りの人も明るく前向きになれる、そういう生き方が私にもできますように」とお願いしつつ、喜びを探しながら日々を過ごしています。

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