指ハートにキュン


●私からのメッセージ
「指ハートにキュン」

愛知県
金光教牧野まきの教会
服部貴子はっとりたかこ 先生


 皆さんおはようございます。愛知県にある金光教牧野まきの教会の服部貴子はっとりたかこです。
 先日、姪っ子が我が家にお泊りにやってきました。
私たち夫婦には、子どもはいませんが、両親と同居しているので、離れて住む妹達のところの甥っ子や姪っ子が、祖父母に会いに、よくやって来ます。時には泊まっていくこともあります。
 小さい頃は、「一人でお泊りする」と言って、始めは楽しく過ごしていたのに、夜になると段々心細くなってゆき、ついには、お布団の中で「お母さーん」と泣き出してしまい、大変だったこともあります。大きくなった今は、もう平気で泊まっていけるようになりました。
 今回は、そんな子ども達の中で、これまで、まだ一度もお泊りをしたことがなかった姪っ子が、初めて「一人でのお泊り」に挑戦することになった、その時のお話をさせていただきます。
 一緒に過ごすことは多いのですが、一人で泊まるのは初めてです。家ではまだ、母親と寝ているそうなので、「ちゃんと寝られるかな、朝まで無事に過ごせるかな」とドキドキしながら迎えました。
 寝る準備をすませ、部屋の明かりを落として、一緒にお布団に入ります。いつも、眠る前にはお母さんと音楽を聴いたりしているということなので、私もスマホで、静かな音楽をかけてみました。
 お布団の上で、転がったり、くっついたりしながら、お気に入りの曲を何曲か聴き、リラックスしてきたところで、そろそろ寝ることにしました。まだまだ寝たくない様子ですが、「今日はもうおしまいだよー」「たのしかったね」と話しかけると、薄暗い中で、きらきらしている大きな瞳と目が合いました。
 実は、彼女は、成長のペースが周りの子とはちょっと違います。そのため、日常生活の中で、デイサービスなどいろいろと介助を受けながら暮らしています。言葉のかわりに、表情と身振り手振りがコミュニケーションの手段です。でも、言葉でものを伝えることのない彼女の、大きな瞳は、その分、生き生きと語り掛けてくるようです。 
 彼女が成長してから独り立ちができるように、家族はいろいろと準備も始めています。これからは、グループホームでのお泊りも始めていくと言っていました。
 そういうことを考えていると、胸がきゅっとするような思いになります。これからもずっと、こんなふうにくつろいで、幸せな気持ちで眠る前の時間を過ごしてほしい、そんなふうに思いました。お世話がしやすいようにとの神様の配慮なのか、年のわりに小さい体に寄り添いながら、「神様、どうか、この先もずっとこの子をお守りください」と心の中で祈りました。
 翌朝は、私も姪っ子も、二人とも元気に目が覚めました。今日は、ここからデイサービスに送り出すことになっています。バタバタと朝の準備をし、時間になると、お迎えの車がやってきました。
 スタッフの方にあいさつして、車に近づくと、「おはようございまーす」と何やら元気な声が聞こえてきました。見ると、送迎車に乗っている子ども達が窓から身を乗り出すようにして、こちらにあいさつしてくれています。近づいて、「おはよう」と声をかけると、うれしそうに口々にあいさつを返してくれます。その笑顔があんまり楽しそうなので、思わずこちらもつられて笑顔になってしまいました。
 しばらく窓越しに手を振っていると、段々面白くなってきたのか、車の中で「ワハハハハ」と大笑いしています。私がふざけて、「指ハート」を送ると、子ども達も真似をして、親指と人差し指を交差してハートの形を作り、指ハートを返してくれました。上手にできている子もいれば、手をグーにして、こちらに向けて振っている子もいます。なんだかおかしくて、窓の向こうとこちらとで、笑い転げてしまいました。やがて、出発の準備ができた車は、子ども達を乗せて発進していきました。
 車を見送ったあと、私は、自分が晴れ晴れとした笑顔になっていることに気が付きました。まるで子ども達の笑顔が私の心を温めてくれたようです。いろいろと心配なことはあるけれど、こうやって元気に朝を迎えて、また笑顔になれる。そんなことを大事にして、毎日を過ごしていけたらいいなと感じました。
 金光教では、「今月今日こんげつこんにち」ということを大切にしています。「今月今日」とは、「今月、今日の、今この時」を大切にするという意味です。
 この「今月今日」という言葉は、もともとは、村の氏神様のお祭りの時に飾る灯篭とうろうに書かれた言葉だったそうです。本来なら、ご縁日、つまりお祭りの日にちを書くのですが、他の小さなほこらのお祭りの時にも使うので、便宜的べんぎてきに「今月今日」と書いたそうです。
 今は、「毎日を、新たな思いで大切に過ごす」という意味合いで使うことの多い「今月今日」ですが、もともとは、神様のお祭り日として、特別な日、ハレの日という意味があったのです。
 初めてのお泊りを頑張って成功させることができた今日は、姪っ子にとって、「ハレの日」と言えるでしょう。朝の明るい陽射しのなかで、子ども達を見送りながら、私も晴れ渡ったような心になりました。昨日の夜のように、先のことを思って心を痛めることもありますが、そんな心配の心よりも、一緒にお布団でゴロゴロした、楽しくくつろいだ時間や、子ども達と大笑いして元気をもらったこの晴れ晴れとした気持ち。こうしたことを喜んで大事にしていったら、今日という日も、ハレの日になるんじゃないでしょうか。そうやって、毎日をハレの日として積み重ねながら、未来に繋げていけたらいいな、そう感じた出来事でした。

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