●先生のおはなし
「ぺっ! ぺっ! ぺっ!」

三重県
金光教南牟婁教会
松田斎二郎 先生
(ナレ)おはようございます。案内役の岩﨑弥生です。今日は、かつて金光教ハワイセンターで勤めておられた、三重県金光教南牟婁教会・松田斎二郎さんのお話です。ハワイという異文化の中で、どんなことを体験し、感じられたのでしょう。タイトルは「ぺっ! ぺっ! ぺっ!」。
「そんなアホな?」
ホノルルのド真ん中で叫んでいました。
25年前、金光教ハワイセンターに赴任して間もない頃でした。いつものように、バスで職場に向かう途中、一緒に乗っていたセンター所長と、ダウンタウンで文具を買いに下車した時です。所長が、ある男の人を見つけてこう聞いたのです。
「あの人、何て言うとるか分かるか?」
見ると、ラフな服装に帽子とサングラスを掛けた中年男性が、手に杖らしきものを持ち、通行人に向かって何やら大きな声で叫んでいます。でも、耳を澄まして聞くまでもありません。なぜならただ一言、「ぺっ!」「ぺっ!」と叫んでいるだけだからです。そこで、
「もちろん分かります。『ぺっ!』『ぺっ!』と叫んで、周りに嫌がらせをしているんですよね?」と答えました。すると、
「はっはっは! 違う! 違う! あれはなぁ、『ペーパー』って言うとるんや。新聞を売っとるんや」と返ってきたのです。
ビックリ仰天でした。確かによく見ると、新聞を小脇に抱えているだけでなく、近くにも山積みの束が置いてあります。その新聞を受け取ってお金を払っている人もいました。
ただ、何度聞いても、どれだけ耳を澄ましても、「ぺっ!」「ぺっ!」としか聞こえません。
ガアァーン…。ショックでした。目の前が真っ暗になりました。
「私は『ペーパー』すら聞き取れないのか? これじゃあ、神さまのお声なんか永遠に聞けるわけがない」
私の宗教者としての目標であり憧れは、神さまのお声を聴けるようになること。つまり、神様の御心を知って、人に伝え、人を助けることでした。「ペーパー」すら聞き取れなかった。それは、私の夢、その可能性すらあきらめざるを得ないような、そんな気がしてショックを受けたのでした。
それに現実として、私はここで生活をするだけではなく、これから現地の信者さんたちと、英語で信心の微妙なニュアンスを伝え合い、デリケートな問題を話し合ったりしなければなりません。一気に不安が押し寄せてきました。
それから3ヶ月ほどが過ぎました。
その日も、ダウンタウンで所用があり、途中下車することになりました。
あの男性が、あの日と同じ格好で、あの短い一言を叫びながら新聞を売っていました。まったく同じ光景が目の前にありました。その時です。
「ペーパー!」「ペーパー!」
稲妻が全身を突き抜けました。なんと、「ペーパー!」と叫んでいるのが聞こえたのです。しかもその男性は、10回に1回の割合で「ニュース・ペーパー!」と言っていました。
「うおおぉぉー! 聞こえた! 聞こえたぞ!」
心の中で吠えていました。
「何とかなるかも知れない!」
真っ暗闇の中に、一筋の光が射してきたような感覚でした。用事を済ませ、急いで職場行きのバスに飛び乗りました。うれしさのあまり、ニヤニヤが止まりませんでした。
「待てよ…」
バスの中で浮かれ気分にどっぷりと浸っていたその時、ある疑問が降ってきました。
「どうして今日は聞こえたのか?」
次の瞬間、全身を覆っている奇妙な空気に気づきました。
「そもそも、この不思議な感覚は一体何だろう? まるで魔法にかかっているような…」
ゾクッとしました。
「何? これまで聞こえなかったものが、今は聞こえる? これって、ものすごいことじゃないか!」
鼓動が一気に激しくなってきました。
「人間って、なんて大きな可能性を秘めているのだろう! こんな大きな可能性を天地自然から与えられていたのか!」
心臓はバクバクです。ただ、頭は妙に澄んでいました。
「今日、なんで聞こえたのか? それは、この3カ月間、英語に浸かって、恥をかきながら練習したからだ!」
興奮で、更に鼓動が激しくなりました。
「ちょっと待てよ…。聞こえなかったものが聞こえるようになるって? もしかして、天地にどっぷり浸かって、天地の呼吸に合わせていったら、神さまの声が聞こえるようになるというのか? こんな私でも、その可能性を秘めているということなのか?」
窓越しに目をやると、まるで未知の世界から飛び出てきたような大きな虹が、こちらを向いてほほ笑んでいるように見えました。
(ナレ)
いかがでしたか。
タイトルの「ぺっ! ぺっ! ぺっ!」という意味がやっと分かりました。言語野が開けるという話を聞いたことがあります。言語野とは、ことばの理解や表現を司る脳の部分だそうですが、松田さんが経験したように、それまで聞き取れなかった言葉でも、繰り返しのなかで、突然聞き取れるようになるのだそうです。
ハワイの大自然の中で松田さんは、英語だけではなく、神様の言語野も開けつつあったのでしょうか。初めから聞こえないと思わずに、聞こうとするところから、神様との会話も始まるのかも知れません。