●先生のおはなし
「最後に残るもの」

兵庫県
金光教姫路西教会
竹部弘 先生
(ナレ)おはようございます。案内役の岩﨑弥生です。今日のお話は、兵庫県 姫路西教会、竹部弘さんの「最後に残るもの」をお聞きいただきます。
昨年2月5日に、父が亡くなりました。97年9カ月、天地の間に生かされて、天地に溶け入るように亡くなっていきました。
人なら誰もがゆく道であり、年齢からして、いつでもおかしくないと思ってはおりましたが、実際になると、あまりにも急なことでした。年明けを境に、自分で歩けていたのが弱まっていき、最後の半月は寝たきりになりました。3年前から肺を患っており、心臓や腎臓も悪くなって亡くなるのですが、それらが一日も休まずに働いてくれたから、今までのいのちがあると思えたのも、信心ならではのことでしょうか。長い目で見れば、97歳9カ月のうち1カ月寝込んだだけで、変な言い方かも知れませんが、元気に死んでいったのではないかと思います。
父は、金光教の教師でした。25歳から亡くなるまで、年数は長いですが、特別立派な信心だったわけではありません。その父は亡くなる2日前に夢を見て、金光教の本部に参拝してきたそうです。私は外出していましたので、妻がいろいろと尋ねてくれました。
「どうやって行ったの?」
「一人で乗り物に乗って行った」
「御本部では、どなたがお勤めくださってた?」
「三代金光様やった」
三代金光様とは、金光教祖から三代目に当たる御方です。参拝者の話を聞いて、神に祈り、助かりの道へ教え導く「取次」の業を70年間勤められました。昭和38年に亡くなるまで、父が青年教師の頃の10年余り、お導きくださいました。体はベッドに横たえながら、心は若い元気な姿で参拝したのでしょうか。
「三代金光様なら、昔の建物?」
「いや、今の建物」
「何と申しあげたの?」
「金光様、日々健康でありがとうございます」
「金光様は、何とおっしゃった?」
「はいはい、とおっしゃった」
その話を聞いて、初めは笑い話でしたが、次第に何ともありがたい思いにならされました。
寝たきりになり、もう御本部には参拝できないだろうと思っていたら、神様は夢で参拝させてくださった。
以前から、たびたび夢を見ていましたが、京都へ歌舞伎を見に行ったり、大阪の地下街を歩いている夢でした。そのたびに、どうして遊びに行く夢なのかと思いましたが、いよいよ最後は御本部参拝でした。夕食の時、その話題になり、息子がポツリと一言、「お礼参拝やな」と言いました。
本人が何とか参拝したいと思っていたかどうかは疑問ですが、思ってもいないとしたらなおさらです。ベッドから起き上がることもできない人間に、神様は夢を見させてまで、一生のお礼参拝をさせてくださった。神様はこういうことをなさるのか、と思わされます。
実は、父が夢を見た前夜、私は何気なく、次のようなことを考えていました。これまで金光教では、亡くなる前に一生の信心の証のようなものを見せてくださる方もあったが、父の場合はどうだろうか。あまり期待してはいけないかな、と。それに対して神様が、そうでもないと教えてくださったかのような出来事でした。
死ぬ時にも、神様は抱きかかえるように迎えてくださる。「人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」という金光教祖の教えが、身にも心にもしみじみと感じられました。「おかげの中に死んでいく」、まさにその通り、おかげの外ではないのです。
人間ですから家族を失えば、悲しい、寂しい気持ちはありますが、それだけでなく、信心ならではのありがたい気持ちもあるのです。
夢という不思議な通路で最後に示されたものは、父から遺されたものであるとともに、これから先に向けた、神様からの宿題なのかもしれません。
(ナレ)いかがでしたか。
これまで、金光教の教師として長い間御用されていたお父様が、本教の聖地であるご本部にお参りし、尊敬する師に会う夢を見る。それを、お孫さんが「お礼参り」と受け止める。大切な物が、受け渡されていく尊さをしみじみと感じました。
死に際まで、人の一生は分かりません。死という悲しい、寂しい出来事なのに、このお話に流れている温かさはどこからくるのだろうと考えました。すると、信心を土台にした家族の様子が見えてきます。竹部さんのお父様は、死に際まで、自宅で、お嫁さんの優しい介護を受けられました。そして、家族に見守られ、子孫に大切な信心を引き渡して、神様の温かい御思いの中、亡くなられました。それが「おかげの中で」死んでいかれたのだと私には思えました。
「人が亡くなる」という悲しく、寂しい出来事が、竹部さんの眼差しを通してさらに、なんとも温かいお話になり、信心の尊さを改めて感じました。そして、最後に残った神様の宿題がどのようになっていくのか、続きを聞きたくなりました。