今日も新しい命を頂いて


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「今日も新しい命を頂いて」

大阪府
金光教布施ふせ教会

村上宏明むらかみひろあき 先生

 皆様、おはようございます。今朝は、今から7年前、私の父ががんを克服した時のことをお話しいたします。
 当時61歳だった父は、風邪をこじらせて敗血症はいけつしょうを起こし、生命に危険があるために緊急入院しました。担当医の診断は、血液に入った風邪の菌が体内のどこかの臓器に居座り炎症反応が消えないとのことでした。それから2カ月余り、父の体がやせ衰えるほどの徹底的な検査が続きました。そして、肝臓にうみがたまっていると言われ、さらに詳しい検査の結果、ついに肝臓を切除する手術を受けることになりました。
 それは、私たち家族が想像する以上に大きな手術で、肝機能低下や大量出血、血液製剤の輸血による感染症や合併症の心配があり、さらに新鮮な血を緊急に輸血するために、父と同じAB型の、それも若くて元気な男性を十人以上集めてほしいとのことでした。
 手術の日がいよいよ迫り、その前夜に、麻酔科の医師から父と私は呼び出され、「万全を期するが、このような大手術は極めて強力な麻酔を使います。そのため外科的な手術の成功いかんにかかわらず、麻酔のために永遠に目の覚めない可能性もあります。最善を尽くしますが、万が一の場合は責任は取れません。それでもよければこの承諾書にハンコを下さい」との説明を受けたのです。
 病院側としては当然の対応でしたが、手術間際ではなんともやりきれない気分で、承諾書に印鑑を押して、私たちは麻酔科を後にしました。父を車いすに乗せ、シーンと静まり返った病院の暗くて長い廊下を歩く私は、目から涙があふれてあふれて仕方がありませんでした。絶対に大丈夫、と心に言い聞かせながらも、手術は成功するのだろうか、父は助かるのだろうかと、いたたまれぬ思いに襲われました。病室に帰っても涙を見せてはいけない、暗い顔をしてはいけないと懸命に平静を装いましたが、たぶんぎこちない顔つきだったのでしょう。せめて今夜は少しでも父と一緒にこの病室にいたいと思い、しばらく付き添うことにしました。その時です。私はふと、ある方の話を思い出しました。
 その方は、数年前、胃がんの宣告を受けられ、もはや生きる元気も衰えて、恐怖と不安でたまらない心境になられました。ところが、何げなくテレビで大相撲中継を見ていた時、ああそうか、この元気な力士たちでも明日の命の保証はどこにもない。明日も必ず生きていると約束されている人は誰もいない。でも、今、生きているじゃないか。ならば、命に感謝し、今日を大切に生きよう。そう思われた途端、その方は急に元気になられたというのです。
 気がつくと、私はベッドに横たわる父にこの話をしていました。尊い命を神様から頂き、生かされて生きているということは、とうに理解している父でしたが、その時改めて父と私は手を握りあい、今、生きているんだ、今日の命を頂いているんだ、と親子で喜び合い、語り合い、励まし合いました。父の目にも私の目にも、うっすらと涙が浮かんでいました。そして、不思議と手術への恐怖も不安も薄らいだのです。「明日の手術は絶対大丈夫だ。神様は悪いようにはなさらないからなあ」「私もずっと神様に祈り続けるから、お父さんも頑張って」
 私たちは、今、命あることを語り合うことによって大いに元気づけられました。
 翌日の手術は、10時間近くにも及ぶ大手術でしたが、学校や会社を休んで待機してくださった方々からは一滴の輸血も受けることなく、手術は無事成功しました。手術の結果はまぎれもない肝臓がんでしたが、摘出された肝臓を見せていただいた時、ああ、これが父の体内で60年余り、一日も休むことなく働き続けてくれたのか。そう思うと、がんに冒されたその肝臓に私は手を合わせて拝まずにはおれませんでした。
 父は、入院前より元気になり、生かされて生きている喜びをかみしめながらやがて退院いたしましたが、その元気のせいでしょうか、およそ3分の2も切除した肝臓が、1カ月後には元の大きさに復元していました。
 そして早7年。父は毎朝、今日の新しい命を頂いた喜びを顔いっぱいにほころばせて、元気に「おはよう」と声をかけてくれています。
 父のこの手術を通して、私は単にがんを克服したことだけを喜んでいるのではありません。打ちひしがれてしまいそうな命に関わる大きな問題に直面した時でも、今、現に生きているんだ、そして今日の命を頂いているんだと喜びを語り合い、支え合い、励まし合うことが、どんなに生き生きと生きる力を与えてくれるか、それを身をもって教えられました。今日の命への感謝と、今日をどのように生き生きと生きるか、それが大切なのではないでしょうか。
 今、病気と闘いながら私のこの話を聞いてくださっている方がおられるかもしれません。しかし、今、私の声があなたに届いている、それは紛れもなく今日の新しい命を頂いておられるからでしょう。夕べ眠る時には、今朝、目覚めるという保証はどこにもなかった、でも目覚めることができたのです。それは決して当たり前ではない、大変ありがたいことなのではないでしょうか。
 今日も生かされて生きる喜びを実感し、たとえ病気を抱えていても、年老いていても、命を生き生きと生かしていきたいものです。そして、その生きる喜びを、さらに語り合い、支え合い、励まし合う輪を広げていこうではありませんか。
 尊い命を、ありがとうございます。そして、今日も新しい命を、ありがとうございます。

(平成7年1月11日放送)


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